環太平洋海浜・舟行ルート説Teori RLPP(4)―Aborigin menyebarang ke Amerika Selatan masa Plestosin ? 

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Nara Akira  http://www.sunda-wind. net

さて、前回お伝えしたような特色を有するパンカル地域の人々は、海面の低下で拡がった海浜地域かフィリピン東の黒潮流を利用したのか、北方に向かい少しづつ展開していきました。

(第1図)

そしていずれの方向からにせよ台湾Taiwan地域で集約されます。

海水面の下がった2万年前以前の日本列島付近sekitar kepulauan Jepangは、東アジア大陸(仮称)の東アジア平野(仮称)Daratan Asia Timurが近接しており、伊藤俊幸氏は日本半島と呼ぶべきかとする状況でした。

因みに、この4-2万年前のその早い時代は、台湾から東アジア平野の沿岸地域は同様の人々orang-orang yg seperti sama di zona regionalと考えるべきで、その後の起点となる南九州に平野の北から来たのか、南から来たのかはあまり意味がありません。

(第2図)

トカラ列島からは来なかったのではという説がありますが、最近の研究で島々の植生が充実していたことから意外に生活できたものとみられていますので、渡っていたのではないかと思います(海水面も今より約130m低下していました)。

と言いますのは、3万2千年前頃、第3図の神津島pulau Kouzushimaの当時の貴重な石器である黒曜石obsidianが南関東で見つかっています。

海の民が、これを獲得しに舟を使い島を行き来しており、私たちを驚かす海洋行動力daya bertindak lautを有していました。

(第3図)

(参考) その時代、海水面は約130m低下していました。200m線でも下図の太青線のとおりで、長距離を舟行動していました。

(関東・東海海況速報(2016.1.8)から作成)

(まとめ)

そして、「海の民」パンカル人が日本列島地域に進出し展開しやがて米大陸に向かったことを俯瞰して考えれば、流れ着いたヤシの実と柳田國男の黒潮「海上の道」の指摘は、ニュートンとリンゴの話のように思えます。

他方、今の大学生・高校生に同様の道具で丸木舟を製作して外海の神津島を往復することという課題が与えられたとして、どれだけ達成できるでしょうか。現代ではスマホは得ていますが、失った知見・逞しい行動力もまた大きいです。

それ程昔でなくとも子供の頃、「われは海の子、白波の~、騒ぐ磯辺の松原に~」と歌い海に親しんでいました。オリンピックも島から島を往復して金メダルを競う種目があっていいと思います。陸上のマラソンがあるのですから。(余分でした。)

さて、南九州以降は、一般には黒潮沿いに瀬戸内海等にも展開しつつ房総半島へと展開していったことになります。勿論、日本海側を北上した人たちもいたことでしょう。

但し、この時代の人骨が残り日本列島で発見されるのは環境条件から極めて困難です。海の民の”とまや”苫屋もその材質と海水面が130m以上も上昇した今となっては痕跡を見つけられないです。

しかし、パンカル人「海の民」が、台湾到着Taiwan―>日本列島ブラックボックスblack box Jepang―>米新大陸Amerikaに出発という、その入りと出ははっきりしています。

従って、かっての湯川秀樹博士Dr.Yukawaの「中間子meson」のように理論上はある筈である。見つかっていないがあるものbangsa Pangkal ada di Jepangとしていろいろ考えようとなります。

その後の歴史の波に消えた人が多いかもしれませんが、海辺・川辺に残った人、自分たちの伝統文化を持って海から山里へ切り替えて適応し生き残っていった人たちなどもいると思います。Sebagian mereka beradaptasi kehidupan di Jepang dengan tradisi dan budayanya.

最近のDNA調査で、縄文人Jomon(期間は長いが)は、パンカル地域アンダマンAndaman諸島、チベットTibet(パンカル地域から展開と考えられる。)の人が一番近いという結果もあります。

パンカル人bangsa Pangkalは、何しろ沿海州地域から新たな寒冷地型の人々が南下し入ってくる2万年前頃、縄文時代が始まる(土器の開始は1.6万年前頃)という時代の前に、万年の長い期間、「海の民」として主に黒潮・親潮地域に、また日本海沿岸にも存在し影響を残したberbekas dalam Jepangと考えられる人たちです。

私は、今回のハーヴァード医科大Harvard Medical Schoolのアマゾン族のDNA調査結果は、寒冷地適応を受けていない海洋性ある人たちbangsa lautの太古の日本列島への入りと出ke/dari Jepangの存在を明らかにした点terungkapにおいて非常に意義深いsangat pentingと考えています。

さて、次回はブラックボックスを出て、米新大陸に向かいdari black box Jepang ke Amerikaます。

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