Nara Akira http://www.sunda-wind.net
前回は、Harvard Medical School のDNA分析チームによる万年を超える大昔に関するアマゾンAmazon部族のDNA分析の調査報道をお伝えしました。
その内容の検討に入る前に、まず大昔の私たちの祖先について述べます。
今、地球に生きる全ての人々の万年の大昔の祖先のアフリカにおける誕生、そして出アフリカ、世界への進出展開についての当サイトの認識は、これまでお伝えしておりますように下図です。
(第1図)
さて、前述の調査報道のタイトルは、豪アボリジニは最初のアメリカ人か?となっていますが、図で分かり文中にも書かれていますとおり、パプアニューギニア、アンダマン諸島の人とも近いです。従って、アボリジニの強調は、豪報道機関である故でしょう。白丸はアマゾン3部族とDNAの関連がないことを示しています。
Geneticists have found that Native American tribes living in the Amazon are most closely related to Aborigines from Australia, Papua New Guinea and the Andaman Islands, as shown in the image above, where warm colours show the greatest level of genetic affinity. White circles show populations with no genetic link.
(第2図)
ハーヴァード調査チームは、出アフリカ後の比較的早い時代に島から島へとアジアから豪へ移った(hop)海の民a sea faring people アボリジニの子孫がアマゾンの3部族であり、太平洋を越えしかもベーリング地峡から北米に入った人類よりも早かったのでは(may be)とみています。
さてそれでは、南米へ向け出発・展開した元々の方のことを考えてみましょう。
それは、豪アボリジニとパプアニューギニアとアンダマン諸島の人々がDNA的に近かった時代です。そして、豪アボリジニの祖先Nenek moyang Aboriginについては 現在では南インドIndia Selatan系とする説が有力である(Wikipedia)とみられています。
調査チームは、①今回調査して見つけたアマゾン3部族のDNAは古いもの ②同様のDNAが北米大陸に無かったこともあり、ベーリング地峡を渡ってアメリカに入った人たちよりも前に南米に入っただろう(may be) として述べています。
これらのことから、人類がアジアの楽園Sundalandから、報道では海と暮らす民a sea faring people とされている人々が島伝いに筏・舟で豪に渡り、アボリジニとして痕跡を残す4万年前頃からベーリング地峡を越えて人類が北米に入る(筆者:2万年前頃)間の時代だったのだろうとなります。
そしてその展開は、豪アボリジニ、パプアニューギニア側の人たちであればフィリピン東を北流する黒潮Arus Hitam沿いが考えられ、アンダマン諸島側の人たちであれば海水面が大幅に下がり広々と拡がっていたアジア大陸東側の海浜pantai地域を北上したことが考えられます。
(第3図)
ここで報道が触れていない隠れている問題を考えたいと思います。
上図の赤で囲われた4地域のDNAの近い人々は、第1図から分かりますとおり、人類の
出アフリカ後の比較的早い時代の人ひとたちですので、今と比べれば人数もずっと少な
く人の形態、言葉、生活なども類似性の強いものだったでしょう。
そして、民族としての慣習を守る結びつきの強さや部族によっては人里離れた地域で、
アマゾンの3部族の人たち同様にこの現代にまで生き抜いてきています。
さて、隠れている問題とは、人類の展開としては中で最も早い南インドの人がアボリジニに
近いといっても途中を飛ばして直接、達することは考えられません。
従って、この地域では同種の人々が暮らしている状況の時代だったということで下図のよう
になり、当時この地域にいた人々をパンカル人Bangsa Pangkal、地域をパンカル地域
と仮称します。
それは、現生人類の状況をなかなか推定することが難しい大昔の時代におけるDNA分析
の実証性を有する概念です。なお、パンカルpangkalとはここの言葉で「元々」の意です。
(第4図)
これにより、当サイトのお伝えしてきている前掲第1図の現生人類の展開図に、サフルランド
方向からの北上ラインを加えます。
次回は、人類史上注目すべきこのパンカル人、地域について考えていきます。
遠いですが、日本列島が視野に入ってきます。