文明の原点を探る(1)―ユニークな日本語に一番近い言語は?

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未だ問題の多い現代の人間社会のあるべき方向、その将来を考える上で温故知新、人類の大規模な文明社会の始まり、原点の様子を探ることは重要でしょう。

近年、DNAの分析などにより祖先である現生人類の足取りがかなり分かって来たのは大きな成果です。

アフリカを出て海浜沿いに東進、アジアの楽園のスンダランドで北上し、南から、西から日本に到達して日本を覆った後、北からも進入してきています。

人類の展開9.16syuku

しかし遺骨などから分析しうる肉体は、人間を人間たらしめる行動を司る最も重要な精神や心理を内部におさめて運搬する、いわば容器に過ぎません。

この点で、現生人類は出アフリカ後、5万年前頃には容器内のコンテンツとして言葉の画期的な進化を果たし、4万年前頃には洞窟絵を描く精神性を示しています。

そこで、他の動物群とはっきり異なる、人間らしい大規模な集団社会の生活状況となりますと、集団の言葉が精神性や生活文化と直結しますだけにその分析が重要です。

日本では、4万年―2万年前頃に南・西、北から入って来た頃から既に生活に重要な道具として黒曜石の使用が各地で認められています。

それを探して船出し、その使用痕跡の分布から、遙かな遠隔地と人々が交易する知能、コミュニケーション力と海上移動技能を有し、日本全域で生活していたことが分かります。

黒曜石図jpeg

縄文人が1万数千年前には、確認しうる世界最古の土器を作り、狩猟採集その後の初期稲作、交易などに必要なかなりの言語力を有して生活していたことは確かでしょう。

弥生人が3千年前頃に南・西から進入するまでに1万年以上の期間があります。

その間の縄文人による言語の使用、生活文化、信仰などは、地域で差があったとしても日本全土を覆い、その後の基層をなし現代に続く重要なものと考えていいでしょう。

この点で7,000年前頃、南九州鬼界島の火山の大噴火で当時の先進地域の九州はほぼ壊滅したと言われています。

西日本も大きな被害を受け関東、東北にまで灰が及んだ大災害による後退は、誠に残念なことです。

日本語の言わば親語はどれだろうということで、100年以上も言語学的な分析が行われてきていますが、どうも誰もが納得する決め手はまだないユニークな孤立的な言語と言われています。

その中で名前が挙がっているのが、①南方(ポリネシア系)語、②インド亜大陸のタミル語と③シベリアの南のアルタイ語です。

近隣の大陸国と同系でないことは不思議です。

候補が遠隔の途上国の地であり、欧米を含めた言語、文化、歴史などの総合的な研究が容易でないことも解明に至らない理由の一つのように感じます。

因みに、ポリネシアは、せいぜい3千数百年前にアジアの楽園のSundaland 地域からラピタ人が漕ぎ出し入植したとみられていますので、南方地域語と言うべきでしょう。

そして、南方地域語と言えば、7千年前頃には平野部が海没してしまいましたが、基層語としてアジアの楽園Sundaland 地域のことがよく認識されていないのではと感じています。

人類が東アジアに達する前に既に東南アジアで話されていた言葉に思いを馳せる必要があります。

更に、次の候補のタミル語が人によっては、日本からあまりに遠隔地のため結びつかないようです。

しかし一方で、世界的には下図のアルタイ語も(ウラル語も)タミル語に類似と言われていますので、日本での議論はなんだかなあです。バイカル湖地域○Bの人々もCからよりもAルートから進出し北方適応したのでしょう。

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その後、強い影響力を持った大陸語に追われた古いものは、離隔した島、陸の孤島と言うべき人里離れた所、山奥などに残ったのでしょう。

現存の言葉をみていきますと、その始源的な古さと広域にわたる影響力でドラヴィダ・タミル語に比肩しうる親語と言うべき言語は、おそらく世界には無いようです。

(南方地域語として、万年の昔のアジアの楽園Sundaland語は、既にそれぞれ類似なものが複数存在していたと思われますが、タミル語との関係を含め不明です。)

現在のイラクであのメソポタミア文明を興したシュメール人の粘土板文字から解明された言葉に接したタミルの学者は、「これは、タミル語だ!」と共通性を実感しています。

また例えば、時代は万年の議論に比べればずっと新しいものの、あのイエス・キリストが最後に発した7語があります。

十字架の上の苦しみの中で、 回りにいた人は誰も理解できなかったとも言われているその7語は、ドラヴィダ・タミル語では、「神よ、死をお与え下さい。」だったと解されている始源性があります。

そして、青年時代の状況が全く不明なイエス・キリストは、当時、各地にあったインド伝道所に接触していたのではという見方すらあります。

人類史におけるドラヴィダ・タミルの地理的な位置、古い文化、近年の発掘成果を踏まえたその先史をもっと認識する必要が有るように思われます。

タミルの影響が日本に及んでいることも、共通の単語や日本の地名に残っており間違いないでしょう。

では次に、そのドラヴィダ・タミルに光を当ててみたいと思います。

 

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