第1図は各地の広範なDNAサンプルから、人類がどう拡散したかをあくまで推測したルート図ですが、赤丸・北海道を北上通過する線が描画され、氷期最寒期の氷床(白)線が考慮されている点が注目され、日本国内における巷間本・博物館の井の中の蛙と言うべき3方向(北・北海道、西・北部九州、南・南西諸島からの人類)渡来図の誤りを世界の視野で正しています。
第2図は、「最初のアメリカ人」を検討するためのベリンジア関連広域の旧石器遺跡の状況を展開したものですが、大問題は圧倒的な質・量の日本関連は沖縄人骨遺跡1ケ所だけ(注:時代定義が若干異なるが、日本のはむしろ古いモノ)となっています。どういうアメリカ教授の説明事情かは分かりませんが、日本側のデータでは、列島で1万件以上、北海道は701件で、日本祖代前期(4~3万年前頃、現生人類)では、シベリア・北米地域せいぜい数件が論議中という状況で圧倒的に日本側が充実です。今回第3図2.3万年前の子供足跡遺跡の重要性は、内陸通路の未通時代における沿岸進入という近年説の補強です。祖先が沿岸から入って来たと思われるのに、海水面(時代により50~120m低下)の上昇で古い沿岸の遺跡は海中であり、ベリンジア地域~米本土で1.6万年前程度以前の遺跡しか無かったものが、一気に数千年遡り、かつ、その最寒期時代はとてもシベリアを東方へ移住するのはムリでしたから(氷床線)、その前の3万年前頃のやや寒さ緩和期が考えられますが、しっかり遺跡のバイカル湖地区は2.4万で間に合わず、RHSヤナ遺跡3.2万は一時的な使用跡と考えられていて東方移住移動はなかったでしょう。ベーリング地域遺跡は1.5万年前以降です。
という事で、始まりのBシベリア狩猟族祖先説は検討される状況なのに、日本の祖代事象、旧石器遺跡の状況、特に北海道の状況と昆布ハイウェイのAルートを発信しないのはもはや罪です。学者が人骨にこだわるにしても、北キツネやクマが石器を作り使う訳がありません、遺跡を認め認識しましょう、膨大なアイヌ・ウポポイ予算を投じて更にデータの世界仕様での、特に北海道・千島の状況の発信や貢献 しうる 国際共同研究を積極的に強化しましょう。実は日本祖史をよく知り子供に伝えるためのコトでもあるのですから。