前回2図下、シベリア人か北海道人かで世界はシベリア人が早いように認識図示し、2図上、シベリア側マリタ、RHSヤナ遺跡、北海道遺跡の人類は、ベーリング地峡・ベリンジアで「滞留」した後、1.7万年以前に氷床融けの沿岸を入って行ったとみられています。
まず、滞留のベリンジアヘのゴールインですが、ホントにシベリア狩猟族が一番乗りだったのでしょうか。①最近は一部の米国学者に、北海道の名が出て来るようになりました。3.8万年前の黒耀石採取の伊豆の海の行き来から、秋田・岩手3.5万年前遺跡、青森を経て千歳・十勝・北見に白滝と、「日本祖人Proto-Japanese」の充実の遺跡・遺物は、世界に認識されているのでしょうか。そして、もしかしたら千島列島越えがムリと判断されているのではないでしょうか。その場合は、白滝黒耀石が発見されている樺太~オホーツク海北沿岸ルートもあり得ます。何より千島列島は、米国学者に注目されている食の豊かな「昆布ハイウェイ」処女地を行くルートであり、次々に島が見えました。島間の最大離隔77kmは、既に人類がそれ以前に東南アジアで約90kmを渡海して豪州に行ってますし、沖縄方面の最近の実験は黒潮越え150kmの与那国行きでしたから、伊豆の海を行き来した海民祖人には十分可能だったと考えます。何よりも明治時代の北千島の「ルートン」海民は、石器を使い竪穴住居に住んで、カムチャッカ半島南部~千島列島を交易して関り、旧石器時代的に「遊動」して暮らしていて驚かされます。
一方②シベリア方面では、しっかり確認されているバイカル湖地域のマリタ遺跡は2.4万年前で北海道より万年遅いです。北極海に面したRHSヤナ遺跡は3.2万年前の古さですが、一時的な使用痕跡とみられており、東方への移住は見られず、北極海沿いのベリンジア進出は1.5万年前以降です。そもそも東部シベリアからベリンジアに2.3万年前に移住して来るのは、今でさえ寒さで死亡する人が出る厳しさですから、最寒期LGMにはムリでしたしょう。最近の遺跡発見状況で、3万年前?という若干状況が良かった時代としても厳しいもので、むろん支持する痕跡は何も有りません。このように検討すれば、ホントにシベリア人が一番なのかとなりますが、いずれにしろ地域の痕跡年代をしっかりさせ、当時の環境も更に明らかにする解明努力が求められますが、実はこれは「最初のアメリカ人」を探るだけでなく、我々の始まりである日本祖人の状況を明らかにする研究でもありますから、膨大なウポポイ予算を投入して国際研究プロジェクトを日本が主導すべきです。まずは、学生・生徒に、この世界の動向を教えましょう。