多くの北海道史本が始まりとして記述する沿海州・樺太「北から南下して入って来た」は歪められた歴史です。
左図①3.5~3万年前に青森から北上した祖人が拡がりましたが、出アフリカ後に北上してシベリアを東進した現生人類マンモス・ハンターは、この時代に来れていませんでした。はっきりした痕跡は、②遠軽白滝黒耀石が北で発見されており、他方、北から細石器文化が伝わったとされていますが、「細」の名の通りマンモス後の石器です。③青森を北上した縄文時代の円筒土器は、積丹半島からなんと礼文島で多数発見されており、単なる交易ではなく北上した離島移住とみられています。そして当然乍ら、④山も川も皆名前があった環太平洋語族(元日本言語学会長 松本克己博士)の知的レベルであり、アイヌが命名したと言うのは子供に世界に誤解の元です。一方、先史の千島列島方面では、カムチャッカ半島からの南下痕跡はありません。逆にアイヌではない自称ルートン(人)の旧石器時代的な「遊動」海民が、カムチャッカ半島に進出していたとみられます。
時代はずっと新しいですが、露のディコワは北千島人のカムチャッカへの北上に着目し、岬、湖、沿岸の遺跡を精力的に研究しました。カムチャッカ半島で最も有名なウシュキ湖地域の遺跡は、13,000年前の古さで、石器にアラスカとの類似を見せ、また、北海道南の知内町遺跡(約2万年前)の墓との副葬品の類似性も言われる興味深いモノです。この北上の痕跡は、カムチャッカからの南下痕跡がないので重要です。プレ・アイヌの北海道祖人の沿岸族がカムチャッカ半島まで進出する海民であれば、アメリカ沿岸先住民の居たベリンジアは指呼の間で、右図⑤シベリア狩猟族が行けたと言うなら、ルートンは「行けなかった」と言う要素は何もないことですから、大変意義深いです。これらのことを学校は子供に教えず、世界に発信していないのは問題です。アイヌ・ウポポイの膨大な予算を、世界史的な意義を有するこの問題に関する日米露加の 共同研究にこそ投入すべきです。