(東京・札幌五輪) 3万年前のメキシコ遺跡の衝撃!

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*遺跡は、メキシコ地元の大学に(英)ケンブリッジ大学が参加し、あの科学誌Natureが報じていますので、トンデモとは言えません。

しかし、①これまでの考古遺跡を①1.5万年(倍)も遡るので衝撃であり、確かに石器が3万年もあまり変化がないのが違和感、狩猟されたり食されたりした動物骨の人工傷など、他に人の関与をうかがわせる物がないなど否定的な学者の意見も出ています。実はそのほかに3万年前となると、②学者が一般に考えるシベリア・ハンターのこの時代の進出北限とシベリア人跡未踏問題があります。北極海に面したヤナ川河口に3.2万年前頃のヤナRHS遺跡がありますが、一時的な単発遺跡とみられ、その後東方に移住を続けてベーリング地峡に達した連続をうかがわせる痕跡は全く無いのですから、メキシコどころの話ではありません。

では、原点の出アフリカから考えれば、スンダランドから東進を続けて豪州へ、③A北上して北部九州へ約4万年前に渡海して来たことが分かっています。インド北部・ヒマラヤ南方から内陸のA‘ルートを遺跡痕跡から挙げる学者もいますが河口から遡行した痕跡を連ねた線とも考えられるほど、河川山地の厳しい地形と猛獣大蛇に昼夜の寒暖などで出アフリカ黒人には大変なルートなのです。この時代は、内陸東進のBルートが無かったことが重要で、バイカル湖地域遺跡の人骨も東アジアのモンゴロイドの北西進とみられています。従って、A曙海沿岸を台湾山地から北上し時計回りに北部九州に来たA・A’の似たような人々が、「日本祖人」Proto-Japaneseとして沖縄に南下し(1.台湾から同様の種族だが、台湾痕跡はその後消された)、北海道に北上した日本列島圏の始まり時代の状況を、1万件を超える旧石器遺跡(2.特に黒耀石の採取と交易)が示し、北海道の遺跡は3.5~3万年前という古さの拡がりです。

更に、3.北太平洋圏は、食の豊かな昆布ハイウェイKelp Highwayに沿って、千島・オホーツク、ベーリング地峡南岸の「一時的な飛び飛び小島の列島状態」、今に残る北米・北西海岸の痕跡など、東南アジアのSundalandから太平洋沿岸を北上して日本列島~千島・カムチャッカ・ベリンジア・北西海岸と、重要な北海道が3.5~3万年前であり、一応3万年前メキシコも荒唐無稽ではない状況なのです。無論、海水面の上昇で痕跡は海面下、DNAは今の先住民に痕跡を伝えずという解釈ですが。つまり、700件の旧石器遺跡を有する人跡未踏でない北海道が、世界の日本の史界でしっかり認識されていないのです。この環太平洋の繋がりは、元日本言語学会長の松本克己博士の言語系統論により支持されているのにも拘らずです。子供に教え、オリンピックで世界に発信です。

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