(東京・札幌五輪) 祖人から一気通貫、北海道史を正そう!

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沖縄・港川祖人のDNA分析で、2代目縄文人から令和人まで一気通貫しましたが、日本史の巷間本は、図左のその始まり(約4万年前から)を見つめないので歪みがあり、その始まりに触れた本もアフリカ発の長い行程を経た認識が弱く歪んでいますので、オリンピックを機に骨軸を正しましょう。 そんな古いことはよく分からない、古代から今に至る歴史と関係がないと言う傲慢さも問題です。

認知力を向上させていた数万年前の出アフリカ黒人は、赤子を東京で今育てれば高校くらいには入れる素材でしたでしょう。ただ、赤道付近の裸体暮らしの人々が、日本列島近くにいつ、どのルートで達していたかを考えることが必要です。そして、何よりも重要な事は、北部九州にフネで家族が渡り、3.5~3万年前くらいには津軽海峡を越えて北海道に適応し、九州西岸から南西諸島を南下して沖縄に至り、概ね列島中に拡がり、2万年間くらいの追加同系人の進入と定着後に、北や西から新たな文化の人々が入ったものの、ナイフ形石器や細石器に残る北から南に長い列島の数個の地域差は、今の津軽弁と大阪弁の違いよりはるかに小さいのです。

特に今注目を要するのは、北、北海道史です。図右上、世界人類史の最新説では、「最初のアメリカ人」は、1.7万年以前に、ベーリング地峡南岸の一時的な列小島(temporary archipelago)から沿岸・昆布ハイウェイをフネで入って来たというものです。そうなればこれまでのシベリア狩猟族ルートだけでなく、④千島列島の海を越えて行ったのか(オホーツク海沿岸含む)が浮上し、処女地の食の豊かさや次々に島が見えていたこと、ベーリング海には北極海冷水が地峡で止められて流れ込んでいない状況でしたので、それまで南方から北上して来た祖人の北上継続を否定する要素は有りません。

そして、⑤旧石器時代のような石・骨・木器を使用し遊動海民の暮らしぶりの北部千島人が、明治時代に調査した東京帝大助手の鳥居龍蔵を驚かせています。興味深いのは、頭蓋形質の比較において、一部に南下説もあるオホーツク人とは最も遠く、アイヌとも本州人とも離れている、むしろ古い時代に南方から北上した祖人系と考えられることが重要なのです。ロシア学者が驚いたように、アイヌは交易品を獲りに来るだけで北部千島などには定住はしていませんから、本来は樺太・千島交換条約で急遽「千島アイヌ」と呼称しましたが、実は長い歴史からは鎌倉時代に入って来たアイヌと呼ぶのは適切ではありませんでした。既に、その後の強制のロシア正教になじみ聖像を飾っている人もいましたが、ずっと古いシャーマニズムは残されていました。

このように、アフリカから北部九州、そして北部千島と考えて初めて、各地のアイヌの伝承で先住の”小人コロボックル“北へ逃げた話が、納得できます。むしろやや悪口でアイヌが語っていたのを呼ばれていた北部千島人などが知らなかったとしても、むしろ存在の可能性を示すものであり、現にそれを南に来てから聞き知った鳥居の老現地助手である北部千島人は怒っています。つまり、図左上の北海道大学のオホーツク人南下の誤りだけでなく、シベリアのマンモス・ハンターが南下しても無く、アイヌが来るまでに3万年の長い豊かな歴史の積み重ねがあり、全ての川、山、岬、動植物・・・名前がありました。何よりも、「最初のアメリカ先住民」には、日本祖人のDNAが入っている可能性があるのです(勿論、アイヌは本件に無縁です)。子供に教え、世界に発信し誤解を正そう。

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