左上、世界に大きな誤解を与え、選良の国会議員が誤解している恥ずかしい「先住」国会決議(平成20年)のドサクサの誤りは、速やかに訂正が必要です。今やこの詳細説明が告げ口によって非公開にされる酷いSNS状況にまで固まってしまっています。
そして左下、この誤解、無理解の一つが、先生でさえよく分かっていない「縄文人は何処から?」という問いで、入試にでも出たら大問題なのです。日本史教育が日本列島史は島国のお陰で分かっているにも拘らず、始まりを大切にしないことが問題です。「祖人」(仮称)Proto-Japanese概念が明確に出されないため、誤解・無理解が生じています。縄文人は、初代「祖人」の子供ですから、日本列島からに決まっている愚問なのです。もし訊くならば、「祖人は何処から?」でなければなりません。
因みに右図、現生人類の出アフリカ後の「特急」と学者に言われる東方のスンダランド、東進してオーストラリア・豪に至った早い、海をも超えた移住で、北や西へ向かった人々と共に世界は皆、この始まりからの親戚であることも生徒によく知られていません。その後右図、スンダランドから北上したことが考古学とDNA分析上、有力です。海水面の低下で陸地が拡がり海の形が変わっていた、「パンカル海」(仮称)の沿岸、「曙海」(仮称)の西岸の”一時的”列島(沿岸の島々の連なり丁-2、米・伊の協同3大学の学者がベーリング地峡南岸の当時の状況を”一時的”列島transitory archipelagoと命名。甲-2と仮称)を北上し、北部九州に家族がフネで渡海して約4万年前に「祖代」(仮称)が始まりました。
38.000前からは、黒耀石を求めて伊豆の海を東京諸島に行き来し、東海・関東・信越で交易が行われていました。そして、豪先住民のアボリジニ、日本「祖人」、アメリカ 南北 新大陸の先住民が万年前からの関わりあるとみられる先住の親戚で、鎌倉時代頃に樺太から入って来たアイヌではなく、国内、世界に誤解を与えています。北海道新聞が、アイヌより先住者の700ケ所に及ぶ最近の遺跡調査を報じています。
子供に教え、世界に発信を。