出アフリカの現生人類が南方から北上し、約4万前に北部九州にフネで渡来し、列島を北上して青森から当時は狭かった津軽海峡を越え雪と寒気の北海道に適応して道南~道央南部~道東~道北東北部へと3万年前頃に拡がって行ったことは1万件を超える旧石器遺跡が示しています。つまり、北海道史は、図左の雪と寒気に適応し生活を開拓して来た長い歴史なのです。
しかし、多くの巷間本・博物館は、始まりを根拠なく 大陸から南下したマンモス・ハンターのように書いている歪曲です。①アフリカを出て北上して極寒のシベリア地域に向かってから東進、或いは②ヒマラヤ東方の大山地・大河と危険な動物のいる樹林地を北上して、沿海州・アムール川及び樺太に3万年前に至った痕跡は発見されていません。道内にマンモスの骨は有っても、10万年前で古過ぎ、他所の国で見られるような、人に狩られた痕跡もその近くに石器などの人工物も全く発見されていません。遺跡が示す北海道への北からの進入は、有ったとしても2万年前以降の細石器文化からですが、その石器はマンモス後の中・小動物狩猟用なのです。かつての「騎馬民族は来なかった」と同様の状況です。
さらに、今、「最初のアメリカ人」問題で、北米の氷床が融けて無氷回廊が開通(1.5~1.4万年前以降)する前などの遺跡(北米1.6万年前、南米1.45万年前)が多く発見され、「最初に来たのは、マンモスを追ってベーリング地峡から無氷回廊を通って入ったシベリアのマンモス・ハンターではなかった」と定説が崩れています。北太平洋昆布ハイウェイ・沿岸をフネで南下して来た人たちというのが新説です。そして、そうなれば、祖人・北海道Proto-Japaneseが、北上を継続して関わった可能性が注目される訳です。北海道の黎明は、南下人が始りのような印象操作説は、正されるべき大きな問題なのです。子供に教え、世界に発信を、国際協力研究で更なる解明をです。