約4万年前からの日本列島史は、1万件を超える旧石器遺跡の分析などにより、実は世界がうらやむ驚きの解明度合いですが、学校は殆ど教えてくれません。北部九州に家族がフネで渡海して来て、南下し沖縄へ、北上して図左の中央部の賑わいを見せました。
注目は当時の宝物の黒耀石です。なんと世界が驚く伊豆の海の行き来を3.8万年前から行っており、 良質豊富な八ヶ岳地区や箱根山麓の物などがあり、祖人小グループが遊動狩猟する、米国先住民インディアンのように環状でキャンプしたり、1mを超える陥し穴を数十も作って動物猟をする社会性を示すなど、関東甲信越は正に現代を思わせる当時の賑わいでした。野尻湖の動物キルサイトのような遺跡など、まだまだ今後の発掘による解明が期待されます。 そして図右、 狭くなっていた津軽海峡を越えて道央・道東、北方領土、道北へと沿岸を主に拡がりました。
雪と寒気の北海道に住み着いたのも昆布ハイウェイの海獣・魚介の食の豊かさとやはり遠軽白滝の日本一の黒耀石の魅力があった事も影響していた事でしょう。北海道は、少なくとも3万年前以後(道立民族博物館)青森から海峡を越えて適応を果たし、最古の石器も土器も道東の十勝地区で発見されているように、本土同様の歴史が広い地域で始まっていました。道民博は、北から1.8万年前以降、細石器の第1初の文化の波を把握していますので、3~1.8万年前頃のそれまでの1万年強の間は、本州から北上した祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの歴史が刻まれ、その間に、千島列島は食豊かで次々に島が見えたし、「米臨海」沿岸からアメリカ新大陸に入って行った、あるいはそれに関わったかと今、世界の注目です。それは、「最初のアメリカ人」Nativesは、それまでのマンモスを追ってシベリアから内陸の無氷回廊ルートBb1を通って説ではなく、北太平洋西岸ルートACからフネで1.7万年以前に入って来たということが、近年の主流説になっているからです。そして、北海道の細石器以前の素朴な第1世代石器と第2世代細石器、北米も最古の素朴な第1世代石器と洗練された第2世代クロービス石器(1.4万年前~)と言う石器歴史の歩みの類似性があるのです。
北海道史の更なる深化と北米関連の解明が、期待されているのです。子供に教え世界に発信し、世界現生人類史の最後の謎の解明に、日・米・加・露の平和共同研究を提唱しましょう。