右図で人類・考古学的な痕跡から日本の原郷を考察しましたが、重要な側面が標題です。
4万年前の大昔にフネで何十kmの海を家族が渡る事の知力、洞窟で動物の絵を写実的に描ける技術と描こうとする目的意志も、”原始人”イメージを払拭すべきですし、学校が祖先を原始人と教えているのは誤解を招きます。海水面が低下して陸地が増大変化していたこの時代に、図の多くの「渡海」と書いた箇所を無理だと言っている学者はいません。そもそもの洞窟絵のスラウェシ(旧セレベス)・マロスもカリマンタン(旧ボルネオ)島から動植物生息状況がすっかり異なるWallace生物の分布境界線越えの渡海になり、操舟・造舟・渡海と洞窟絵という異なる分野の知力はいずれが先かも興味を惹きます。そしてやがては、外洋漁撈、芋・根菜農耕と家畜飼育、水辺の稲作などへと重要な繋がりが生まれていきます。
そしても一つ注目するのが左図で、正にルートに符合する渡り鳥の行き来です。今よりずっと自然に関心が強く、ある意味では理解も深かった祖人は、当然着目したことでしょう。
鳥は神の使い、陸地を生み出し与えてくれるという神話を有する部族もいます。日本の八咫烏、アメリカ先住民の渡り烏、サンダーバード大鷲、ハチ鳥など、他の多くの国でも非常に大切に扱われています。鳥が来るという事は向こうに陸地があることを意味しますから、導かれ神に近づいて行ったのではと思います。このようなことも含め子供に教え、世界に伝え、諸学の研究の進展で真相を明らかにしてほしいものです。最後に右図赤丸Center?地域ですが、実は我が盟友のDhani Irwantoは、あの有名なプラトンPlatoのアトランティスAtlantisが、なんと此処に在った!と実証的な論考をものにしている地域でもあるのです(もう、余りにも出来過ぎですが)。