始まりの日本祖代は、渡海してきた祖先が北部九州から沖縄、北海道へ拡がりましたので当然にして似たような人たちで(巷間本・博物館展示がこのことを歪めて3方向からとしていますが北上の一方向性で、北海道の犬は南方犬)、縄文時代になっても列島の暮らしに一体性があり、地域の色合いに差がある程度のことで、正に表題の通りなのです。
この祖代・縄文の期間は、日本史の92.5%ですから日本人に与えた影響は大きく、巷間本は書いていませんが、天照大神・日巫女、紫式部・清少納言の出現、宦官制度なく仮名があり、魚介松茸好きなど種々の重要な日本の特色は、祖代・縄文を考察せずには語れないでしょう。この基盤の上に、その後、北・中・南の地域の違いが生じていくことになりますが、日本祖人から今日まで、人の大きな流入による交替は起きておらず、違いは樹林の環境に合わせたものとも考えられます。また、明治維新や戦後の劇的な変化も人はそのままで、スタバやマクドやドーナッツ店が溢れても欧米人がたくさん来て混血している訳ではありません(千年後の歴史家は勘違いの無いように)。多様性を認め尊重するのはいいですが、ことさらに一部を言い立てて分断を煽るのは不幸・ムダ予算への道で、こんな時代は、「我々は日本祖人以来、似たような仲間で伝統を大切に」と言うべきでしょう。