鹿児島指宿高校の先生であった小野重朗氏の書籍(1977年)で、原郷も基層の語も正に南西部日本の民俗を長い間研究されて、民俗学者として辿り着かれたものと感じられます。先島から五島まで、東南アジアを北上した古い古い文化だと指摘されており、その認識は「曙海史観」そのものです。
70年代のことですから、南の先島から北の五島にまで至ったと言う認識も理解でき、曙海西岸が海中なのですから時計回りで南下した可能性を求めるのは酷です。その後の考古学界の実証で、九州から沖縄へ文化が南下したという認識となり忘れられていますが、小野先生が、最深部を掘り当てたと考えられた内容自体は間違いでは有りません。驚きの先人の研究努力に敬意を表します。実は、西岸の民である呉・越との深い関わり、長崎の人が元寇の侵攻で、捕まえた大陸内陸の北の民と異なり南の沿岸の民を誅さなかったことなど、曙海東・西・北沿岸の西太平洋沿岸族の古く長い関わりを学ぶことなしに、日本史の理解はできないと考えています。
それにしても関連書籍の書評で、未だ下図✖が記述されるお粗末には驚き呆れます。
蛇足ですが、カンプン・ナガ(竜の村)は、インドネシアのパジャジャラン大学外国人語学研修生の西ジャワにおける修学旅行地で、長い急な階段を下り上がりしたことを想い出しています。