「最初のアメリカ人」の我が投稿に対し、返信質疑をやりとりしたところ最後には、「そんな論文は見たことない、妄想だ」と言われました。そうです、日本学者が世界に向けて発信していない事が問題なので、見ていないのは当然です。質疑してみると北海道史を理解しておらず、アイヌを誤解しており、標題の下図3点セットを送りました。
第1図、これまでのシベリア定説が、氷床による閉鎖中の古い遺跡が北・南米で幾つも発見されて崩れ、また、ベリンジア地域での発見遺跡は今のところ15,000年前ですが、2.5~2万年前から数千年間ベーリング地峡で滞留して温暖化後(17~16,000年前)に、北太平洋沿岸・昆布ハイウェイを舟で入って来たと替わり、ルートAがしっかり浮上、①~④で説を支えます。出発地の状況は、第2図、32,000年前には北上した日本祖人が道内に拡がり、北上を続ければルートAと成ります。なお、北海道大学の研究結果の第3図、アイヌは鎌倉時代からのことですので本件の万年前話には無縁ですが、「先住」国会決議・アイヌ新法の誤解は罪深いことです。縄文人さえ間に合わずお呼びでないのです。即ち、「日本祖人」という用語がなければ、欧米の論議に分かり易く参加する事ができず、現に日本列島を通るルートAが浮上しているのに参加が無い、むしろ世界の誤解を放置しているのが現下の問題なのです。次回、その辺を。
さて、長い間、アメリカ先住民は、シベリア~ベーリング地峡からマンモスを追って入って来たと考えられていましたが、第1図、氷床で閉鎖されて米国・南米に行けない頃よりも古い遺跡が幾つも発見されて説が崩れました。もっと早く氷床通路が開いたのではと考える人もいますが、有力説は北太平洋沿岸・昆布ハイウェイを舟で入って来たとなっています。2.5~2万年前には地峡に出て来てそこで滞留して種族が混ざり合ったと言うのがDNA分析学者の説です。それでも何となくシベリア狩猟族が、地峡で舟に乗り換えてと思っている人が多いのでしょうが、当然、ルートA説が浮かび上がります。
①北海道に32,000年前から「日本祖人」(38,000年前には伊豆の海を島に行き来した海の民)が居た、②千島列島は食豊かな昆布ハイウェイ沿いで次々の島が見えていた、③「米臨海」には北極の冷水が流れ込まなかった、④地峡沿岸の気温は氷河期ながら今もとあまり変わらず、昆布ハイウェイは続いていたなどが、説を支持します。米先住民に残っているDNAはシベリア系要素が多いようですが、南米までも視野に入れれば、沿岸ルートは重要です。そして、第2図北海道の日本祖人は、九州から北上し青森から津軽海峡を渡って雪と寒気に適応した人々です。これらは石器分析で明らかです。そして、この問題で欧米にも誤解の多いのがアイヌで、第3図、鎌倉時代頃に北から入って来て日本祖人~縄文人~擦文人という先住民と混血した人々です。国会決議のアイヌ「先住」は誤解を生んでいる罪深いものです。そして、「最初のアメリカ人」問題を論議できないのは、標題の3点セットが教えられずに誤解を生んでいるのが問題なのです。現在、ルートAを学び、研究して世界学界に寄与することが求められており、少なくとも東京・札幌五輪では、問題の存在とこの3点セットを理解してお客を迎える必要があります。日本人と米先住民は、親族の可能性があるのですから。