中田君(第1図)が教わった学校がそうだから仕方ありませんが、「大陸と繋がっていた頃、やって来たヒゲもじゃの槍持った・・・縄文」です。今も巷間本にある、日本史の始まりに対する「さらっと」さと関心が縄文から始まる誤りです。その言い訳は、「This is 日本祖人の人骨が無いし」ですが、復元された石垣人や港川人などからのイメージは、時代と場所から十分に「祖人」を窺わせるものなのです。
1万件を超える遺跡から、始まりは約4万年前・九州で考古学者に異論無く、「日本祖人」は、大陸とはとっくに繋がって「いなかった」海を家族で越えて渡り、九州から北上して3万年前には北海道から沖縄までの列島中に拡がり、生活の痕跡を残して切れ目なく次の「縄文人」と呼ばれるようになったことが実証されています。既に、造舟、海洋操舟、陥し穴猟、釣り針など世界でも誇るべきものがあり、極めつけは38,000年前からの伊豆半島~東京都神津島へ、黒耀石を求めて20km以上の海を行き来し、広域の交易までしていた事です。 私たちの基層の文化・習俗となる長い 2万数千年間の「縄文人の親」たち祖先の世界的な偉業です。とても軽視できる時の重さじゃないのです、「ヒゲもじゃの槍者」は勘弁してください。彼は、「元々日本はどうやって始まったのか」という良い問いを発してますが、デタラメで答えになっていない説明が酷過ぎます。
問題はそういう事なので、第2図、雪と寒気の北海道に家族で渡って行って適応を果たし、道内に拡がった北海道「日本祖人」が、世界注目の「最初のアメリカ人」の候補だなんて、中田君には全く思いもよらないのです。子供たちは
(学校の先生も)、道東の状況や遠軽白滝はもとより、「昆布ハイウェイ」もベリンジア(地峡)も知らないので、国際的な場で大恥をかくことになるのです。もう、これは文科省の罪です。