現生人類の拡がりは第1図、①出アフリカ直系インマレイド(欧米学者は、ジンギスカンにびっくりで「先」モンゴロイドと呼称)が北上し、②降雪寒冷に適応してモンゴロイドにはっきりインマレイドから身体変化し、今度は南下して来たものです。この強い影響が東南アジア・インマレイドにまで及びましたので分かり難く誤解の元ですが、マレイ半島には今も黒人ネグロイド系の痕跡の人達がひっそり居て、人類の歩みを教えてくれます。従って第2図左下から、ラオス6万~台湾5万~北部九州4万~東京諸島3.8万~北海道3.2万という基礎となった拡がりの歩みが良く理解できます。
「日本祖人」が当時の優れた造舟・操舟力のある家族で渡海の民だったので、黒耀石採取のための東京都神津島への行き来も、世界が驚く程の「謎」ではありません。下図で諸島における歩きで舟のえい航を行えば、当時の北からの流れに逆らわずに行き来できます。
次に第2図右下、沖縄本島に至る黒潮越え問題ですが、鍵は越えて行った住民の特性です。Aは渡海の民の子孫で、次の島々が見えていました。Bは欧州の地中海もどこも同様の沿岸におけるカニの横這い(フェルナン・ブローデル説)の一般的な拡がりの民で、始まり時代には島が見えない渡洋という行動は有りませんでした。従って、石器は南西諸島南下を示し、その後の貝類交易の宝物は北上という考古学常識になります。実は八重山へは、台湾からの距離は曙海時計回りが遥かに遥かに遠いですが、九州から南下して行ったのが先の可能性もあります。それは台湾学者が、あの時代に家族が危険を冒し、黒潮流を越えて八重山に行く「魅力」は無かったと言っているのです。
というのは、島では食料の確保が容易でなく、小型化するだけでなく長く生き続けて痕跡を留めるのはムリというのが歴史界の一般認識なので、南西諸島はやはり驚きなのです。さて問題は、この人類史の流れの基本を違えて内陸の方から矢印を登場させたり、樺太の方から入って来るという、時期が混じり出戻り含めて入った異人の量を考えないごちゃまぜの図が誤解を招いています。ポーランド~南スペインに匹敵する日本の広域への北上拡がりで、かつ、定着1万数千年間の歴史の重さを認識し、オリンピックまでに正し子供たちと訪問客にきちんとPRしましょう。大事なお・も・て・な・しですから。