米国スミソニアン(博物館)誌の新年号の特集トップ記事・第2図は、「最初のアメリカ人」問題で、北海道Hokkaido in Japanがしっかり登場しています。第1図、北海道の多数の旧石器遺跡の中で道東「日本祖人」は、道内でも最も注目されます。第2図シベリア・バイカル湖人Bと並ぶ実質的な2大候補として世界の注目でもあります。
記事のDNA分析からは、第2図、最初に入って来たのはAだけでもBだけでもない、〔2万年前(以前)に達したとみられるベーリング地峡での(数千年の)一時的な滞留間にDNAが変化した〕「C」ということだそうです。B ルートは遺跡が少なく(今後の発見にもよる) 真冬には-60℃にもなる移住であり、約2万年前からの温暖化以降と考えられますが、A北海道の遺跡は多く、古さもあり、千島列島は次々に島が見えていたハワイに繋がる「米臨海」沿岸の「昆布ハイウェイ」の移住であることなどの点で条件は良く、有力な候補と考えます。米諸大学・加・デンマーク・露の学者の発言中に、2万年前のベーリング地峡南側の到着に間に合わない縄文Jomonや全く論外である鎌倉時代からのアイヌAinuが話に出なくなったのは大変良いですが、折角、(日本祖人が)黒耀石採取で伊豆の海を行き来したことに言及されているものの、年代が3.8万年前であるのに、3.5~3万年前となっているのは訂正を要する日本側の発信の問題です。
さて第2図、DNA分析からは最初の進入は数百~1・2千人、沿岸の氷床が融解したのは18~17,000年前で内陸の14,000年前頃より遥かに早かった、南米や大陸内の遺跡の状況から南米への南下と2・3百年での北米内拡がりは速かった、沿岸南下の最初の分岐はワシントン、オレゴン州境のコロラド河口だった、シベリア北部のYana遺跡(3.2万年前)を露が挙げてるが実質的には本件に関わらないとされるなど納得しうるものです。尤も、コロンブス以前に北大西洋から北米東部に渡って来たという説が、依然として挙がっています。本件ではとてもあり得ないと思います。いずれにしても、露学者の名は出ているのに北海道「日本祖人」を擁する日本学者の名が本件に出ないのは問題で、北海道の先史研究に科研費の有効利用を期待したいですし、これらのことを全国の学生・生徒が殆ど知らない現状は大きな問題です。 科研費を投入して世界に寄与し、 東京・札幌オリンピックを機に「日本祖人」と米国Nativeインディアンが関わりのありうることのPRなど、是非とも挽回を図ってほしいものです。