北海道大学のDNA分析で鎌倉時代からのアイヌ(第1図)の伝承に、女性がアイヌに捕まって辱めを受けたことに怒って千島の方に去った“蕗の下の小人”コロボックル(第2図)の話があり、江戸時代から既に北海道のこの小人話はありました。
明治時代になって考古学が生まれ、札幌の竪穴遺跡などがアイヌの物ではないとして、学界でアイヌよりも先住人のコロボックル論争が起きました。アイヌの伝承を信じるかどうかでも論が分かれましたが、怒ったコロボックルが去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来ですから無視は出来ません。 活字だったら間違いなく学界は相手にしているでしょう。明治32年、鳥居龍蔵が「北千島を調査したが、コロボックルは居なかったし話もない」として決着し、大正時代には小説が書かれて「妙な神様が居た」と扱われ、第2図のようなことになっていってます。
しかし、東京人は知りませんが十勝の蕗の下の人は、第3図のようなものであり、コロボックルはアイヌより少し小柄であったという話もあります。何よりも今、「最初のアメリカ人」が、第4図のように来た太平洋の沿岸を舟で来た小柄な人となってますので、入れ墨し漁労に優れ貝を食したというコロボックルは大いに注目されます。16,000年前を議論しているときに、明治後半に行ったが居なかったというのは何の不在証明にもなりません。北海道先住コロボックルに再び光を!です。