これまでに標題関連の多くの本が出版されていますが、最新の(まとめ)をご参考とします。現生人類は、出アフリカ後に東南アジア・Sundaland地域に至って北上及び東進し、図の曙海畔から約4万年前に対馬~五島に渡海、3万年前にはほぼ列島中に拡がりました。
多くの本の説明が、日本列島には南から、西から、北から人々がという時代の違いを踏まえない3方向から渡来という記述となってますが、大きな誤解を招くものです。始まりから一貫して北上であり、列島内も北上を続け、おそらくアメリカ新大陸へも北上して行ったこの一方向性がその特色であり、極めて重要な点です。
この点を理解している筈なのに、何故、3方向からと言うのかむしろ不思議で、余りに「単一民族説」の否定に 過ぎ、 傾く歪曲です。何しろこの一方向性の南方海人(太平洋沿岸)系の拡がりと定着した文化は、2万年以上の積み重ねとなっているからです。
さて、「日本祖代」末期の最高寒期最寒冷期(LGM)前後に、西から北から大陸系の人々の渡来がありましたが、更に縄文時代1万年以上にわたり基本的には文化が継続されたものと考えられ、近年、「日本文明」と言われるようになった重要な要因でしょう。そしてこの国柄の古い基層の延長上で、南九州勢力の東遷(近年実証)によって大和王権が樹立されて「芯」が出来ました。
他国と違って昨日今日のものでない、誰かが頭で考えた理屈の人工のものではない、長い間に島国で熟成された南方海人系の島国独特の民俗を背景に生まれた、多数の支持を得た「芯」を有する政体となっていきました。その後、大陸・半島系の人と文化の渡来を混ぜ乍ら曲折を経つつ 継承されて来 て、現代の「令和」の時代に至っています。まとめとしては、①出アフリカ後、南方から北上して 来て渡海し、引き続き北上(一部南下)した 一方向性 の拡がり とこの文化の列島中での定着、②万年を超えて積み重ねられた南方海人系の島国における文化基層の形成及び熟成、③その基層上の多数に支えられた王権社会の樹立とその後の継承、が標題の主な答えとなります、ご参考まで。