標題には下第1図のDを抜いた図が世界に広まりよく使われますが、重要な「始まり」に対する誤解の元です。フェイク・印象操作と言ってよく、問題は最も可能性が高いAが挙げられていません。「いつ」が約4万年前頃(3.8万も同じ)は、学会に異論ありません。すると西のCと北のEは、現生人類の出アフリカ後、どのルートでいつその矢印の出発点に至ったのか痕跡が実証されず、人類移住の始まり図に描くことが不適切で、対象とすべきは、AとBだけなのです。
つまりずっと時代が下ってからやって来たC,D,Eを描くことは、「先住」の誤解の元であるのみならず、国連による勝手な定義の「先住民」問題にも繋がります。そしてBは、4万年前の慶良間海峡越えなどを考えれば厳しいことから、普通に考えて北上史である日本中に拡がった第2図(顔は2.7万年前の石垣人準用)になるのです。①時期の違う複数ルートを描く、②大昔はよく分からないとして記述しない、のは歴史研究と教育上の歪みです。日本史の約92.5%の期間を占める長い「日本祖代」・縄文時代の生活文化というDNAよりも大事なものを継承しているのです。やがて豊かな各地の神話 となって伝承・活字に残り、 天皇陛下をいただく日本国となって現在に至ってますが、島国であるが故に歴史がかなりはっきりしている、世界でも稀な恵まれた国と言えます。(了)