日本列島史、議論も踏まえた最新版

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4万年前頃から遺物・遺跡が急増しますので、海を越えて新人家族が渡って来ただろうという事で大方の意見は一致しています。

気温は4℃くらい低く、海面は数十m低かったので、瀬戸内海、東京湾等は陸地でした。

南西諸島の慶良間ギャップ越えは距離的に難しかったでしょうが、津軽海峡地域は距離ではなく降雪寒冷が厳しい状況だったでしょう。

対馬暖流が無かったので日本海側に大雪が降ることも無く東西が同様に拡がり、特に関東と甲信越が、中央部で黒耀石が採れたためもあって早い段階で繋がっていたことが注目されます。

原型が出来上がりました。

北から狩猟族の人が入って来た(一部戻ってきた)のは、ずっと後の話(2万年前頃)です。同様に西からも入ってきましたが、これらの影響は大きかったようです。

また、数十万年前のジャワ原人や北京原人系の人類、十数万年前からのデニソワ旧人が来ていたのかは、今も調べられ特に後者の議論がなされていますが、祖先では有りません。

縄文時代の始まりと終わりは議論がありますが、まあ上図が主流でしょう。

最近、「弥生人」がやって来たという事については否定的な論が出ています。稲作という大きな生活変化はありましたが。

そして、実は世界の学界の一部で注目されているのは、日本列島人が、当時の昆布Kelpハイウェイを通ってベーリング地峡南岸から、初めてアメリカ新大陸に渡って行ったのではないかという事です。

「歴しニア」は、日本祖人とその子孫が、太平洋沿岸を北米に至り南米にまで拡がったと言う考えです。

少なくとも子供たちの副読本には、前述くらいの事は載せる段階に来ていると思います。

(参考動画)

(了)

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