昨年末、縄紋人の祖先たち(即ち日本祖人)という当ブログと同様の問題意識のリードタイトルの本が出ました。
しかし先ず第1に、下図(以下、赤字はNara)の北ルートは、約2万年の大きな差があり、同列に扱うべきではないです。
既にお伝えしています様に、日本列島史の始まりは下図です。
此のことの重要性は、アイヌ先住民問題に関わります。
アイヌの人たちが迫害差別を受けその人権が尊重されねばならないとしても、著者も明瞭に九州から北海道にまで一方向で拡がったとしており、「先住民」を冠した国会決議が史的学問からは立証できない誤りであり、訂正されるべき事を示しています。
即ち、アイヌの人たちが北部九州に存在していたことを立証できるのかと言う事ですが、むしろ大方は、時代を下ってから樺太を南下してきたと考えていることでしょう。
実は問題は、学問的におかしいと思っている人はいたと思いますが、最高機関である国会の史的裏付けのない決議に明確に反対を唱えた歴史学者の居なかった事です。
戦前の皇国史観の時代でも異論を唱える学者は居ましたが、今回のこの史観に学問上、異を唱える学者が居なったことは、いずれ歴史学界の汚点として記録されるでしょう。
因みに以前報告のコロボックルは、アイヌの先住でアイヌに追われたとアイヌ自身が伝承していたのです。
著者も私も北部九州が始まりと考えていますので、勿論、沖縄も列島の「先住民」ではありません。
米国、豪などと異なり、4万年の歴史の我が国には「先住民」と言い得る人はいないことが一つの特徴なのです。
次に、著者は特に論拠を示すことなく、始まりを降雪寒冷の内陸狩猟族Bルートとしていますが、反対です。
約80㎞の海峡を家族が舟で越える必要があったことは容易な事ではないです。
舟造り、天文、気象・海象、操舟、様々なノウハウを必要としますので、一朝一夕には無理です。
出アフリカ後の豪への渡海時期の早さや日本祖人が降雪寒冷の北上に1万年も要した事、人体・DNA・言葉などの他との比較から、海の民系Aルートでしょう。
何よりも学界や類書が、最も可能性が高いと考えられるA-1ルートを認識していないこと、また、やっと「縄紋人の祖先」まで来ましたが、旧石器の語しか無く、「日本祖人・祖代」、「曙海」や「北東ア平野」、台湾山地、朝鮮山地などのキーワードの名すら依然として無い現状は驚くべきことです。
真正面から列島史の始まり~縄紋時代に取り組んだ専門家の祖代研究の登場を待つのみです。
創業者は2代目の先代としてだけで、2代目から書かれた社史では困ります。
(了)