産経ニュースで、かって存在した半島大陸地Sundalandの西のアンダマン諸島の原始的なセンチネル族の恐ろしい状況が報じられました。
出アフリカ後の日本祖人の足取りを考える上でこの地域は極めて重要であり、4万年前頃に日本列島に現生人類が至るルート上の要域です。
この地域では、今回のアンダマン諸島の他、マレーやパプアニューギニアの高地族など石器時代の部族かと言われる人たちが、今もそんな暮らしぶりを守っています。
が、結論的に、我が先人の様子は違かっただろうと考えます。
インドネシアのジャワ島西部バンテン州南部のインド洋に面した山中にも、石器時代的ではないですが、少なくとも何百年と暮らしを守っているプロト・マレー系のバドゥイ族の人々が居ます。
バンドゥンの都会からバンテン州を訪れていて、広報担当の人たちと下山してきた彼を初めて見た時は、やはり驚きと遥かな歴史への感慨を覚えました。
さて、件のアンダマン・センチネル族などですが、赤ん坊をロンドンに連れて行けばちゃんと学校を出て社会人になれるだろうとみられています。
彼らは、明らかに外部と接したときに悪いことが有り、トラウマとなって部族の保存を図るためにこういう生き方になったのでしょう。
Sundalandの地域が、そして最近明らかになってきましたが南米のアマゾン地域でも石器時代的と言われる部族の存在がいろいろ新たに確認されていますが、やはり暑い暖かい赤道地域の環境であることが大きな要因でしょう。
10万年前頃に出アフリカを果たし、8~7万年前頃にSundalandに来て豪州に6.5万年前頃とすると、北上した日本列島が4万年前(40ka)頃というのは、緯度北上の厳しさを表しているのでしょう。
そして、日本列島の北上では4~3万年前の約1万年かかってますから、ここでもやはり緯度北上の厳しさが感じられます。
なにしろ、北海道の冬は、本州と異なる寒さと雪ですから。
(ところが実は、この北海道と北のベーリング地峡南岸の差の方は、海の影響からかイメージ程でなく、北上して渡米し得たものと考えています。)
センチネル族やバドゥイ族は、日本祖人を考えるために参考になりますが、例えば衣服一つ、食べ物、寝る住まい一つとっても全く違う暮らし振りだったでしょう。
そして現生人類は、のどの進化に加え数~5万年前頃までにはおそらく複雑な言葉の使用を可能にしたと考えられる、飛躍的な脳の働きの進化を遂げたようです。
ともかく、日本列島に来た頃には、私たちと遜色なかった素質をもって家族で海を越え環境に適応を果たしていったことでしょう。
3.7万年前頃には、日本祖人が伊豆・神津島に十数kmの外洋を舟で渡り、行き来して伊豆から南関東の広域で黒耀石を他のモノと交換していました。
また、2.3万年前頃の沖縄本島南部のサキタリ洞窟では貝製の磨かれた釣り針(世界最古)も見つかっています。
そこでは、3.5万年前頃には居住が始まっていたとみられ、九州からトカラ列島を南下したにしろ、宮古から200km以上の海峡を越えて北上したなら、それなりに進んでいた社会を思わせます。
縄紋時代以前は原始的、石器時代的とする意味内容は、近年になってイメージの修正を求められていると考えています。
自然を畏れ敬い調和して暮らし、後の縄紋時代にも列島内での殺し合いはあまり無かったようですし、何よりもイジメや生活苦などで自殺する人などはいなかったでしょう。(子供のなんて、考えられません)
インドネシアでは、男女が役割を担い、社会が助け合って成り立っていたと教えています。
原始は遅れていたと考えられがちですが、自然を畏れ敬い調和して暮らすことは、「幸せ」を尺度にすれば月に行くことよりも大事なのではと思います。
(了)