いよいよ大寒です。
ロシアの方から、東シベリアのサハ共和国(正に下図シベリア)で車が故障し歩いた2人が凍死したとの悲報が届いてます。-65℃という凄さです。
成る程、日本祖人がベーリング海峡を越えてアメリカに入って行った、という話をしても「シベリア」と聞けばやはりムリだと思いますので補足します。
大方の学者さんは、シベリアからアメリカへ入って来た、それも従来定説の無氷回廊ルートではなく、北太平洋沿岸の昆布Kelpハイウェイ沿いだとなってきています。(回廊が開通する前にTexas, Oregonに現れてる遺跡が発見されています)
そして、東シベリアやアラスカ内陸の厳寒を考えれば、当時のBeringia地峡が比較的厳しい寒冷でなく、低木・草地ツンドラでヘラ鹿などもいたようなので、気温のいい時期に地峡に来て、氷期が終わる15-13,000年前くらいまで、一時滞留していただろう、溶け出して動き出し米本土に入って来たという説なんです。
問題は、カナダ・アラスカ国境で確認されたムツ洞窟遺物が、24,800年前と発表されていますので、此の事と矛盾しています。
また、シベリア人というのは、バイカツ湖地域Malta遺跡などからの人達となりますが、現在の北・南アメリカのNativeインディアン・インディオの人たちとDNAが違うというので、従来の単純な説ではないのではとなっています。
当サイトは前回報告しましたように、日本祖人が北海道から北上でき、Bering地峡沿岸を行くルートが米臨海などの諸要因から有り得たと提唱していますが、内陸の想像以上の厳寒から、あらためて意を強くしています。
旧石器時代の人たちが、厳寒のシベリア内陸に長期存在して地峡を越え、古いアメリカの遺跡に登場するのは、ムリだと考えます。北海道から沿岸を、でしょう。
氷期でない、温かい米臨海ではない環境の今の気温ですが。
先生、ハワイに繋がる米臨海も考慮してください、そして、カナダ・南北米の古い遺跡を苦労されて分析した結果を認めてください。
想定よりも早い時期に渡っていると思います。
最後に、地図を作っていてふと思いました。
学者先生はあり得ませんが、ロンドン中心の地図を小学校から見てる人たちは、右端シベリアから左端アラスカへ渡って行くことは、議論どころかイメージすらし難いのかなあと思いました。(失礼!)
(了)