列島史始まりの日本祖人は、結論的にやはり「西郷どん」系です。
隼人に関しては、日本人類学の大家である金関博士が既に比フィリピンのネグリトとの関連を推論しています(学者先生の金関博士は、証拠がはっきりしないとして、この説を断定的に言ってはいませんが)。
ポイントは、比・ネグリト、隼人、そして、各地に拡がっている海人族の関連です。
比ネグリトは、アフリカのピグミーなどと似ていますが、DNAは全く違ってあくまでモンゴロイドが日差しの強い島の環境でああいうようになったものです。
名前もいろいろに言われていますが、イタムとはインドネシア・マレー語のヒタムhitamで、「黒い」を意味します。
中国・宋の書物には、このネグリトは小柄で肌の黒い海胆ハイタン人として書かれていますが、ハイタン―hitamは繋がりが分かります。
そして、黒、このハイタン、日本のハヤト・ハヤヒト・ハイタン隼人は、無理なく繋がる訳で、ネグリトの特徴を一般に表現したものと、金関博士が薩摩で見た隼人の特徴もよく附合しています(上図右下)。
更には九州北部の筑紫地域は、「あた守る筑紫」と言われていますが、この「あた」とは、隼人を示し隼人から防衛する筑紫と解すべきものと博士は言っています。
他方、「あた」隼人は海人族で、上図のように茨城常陸や日本海側の沿岸にまで拡がり、何と岡山美作、長野信濃という内陸高地にまで拡がっています。
前回、インド洋から北海道に至るまで、人類史の流れを踏まえながら人の類似性を指摘しましたが、金関博士の説は十分納得し得るものです。
曙海の畔から始まった列島史から、比、台湾、五島や薩摩、沖縄の人たちが類似なのは当然です。
そして、北上して3万年前までに北海道にまで拡がっていますが、正に始まりの先住の人々と言って良いでしょう。
特徴は、海を越えて渡って来た海の民であって、隼人だけでなく微妙に呼び方を換えてますが、今もその痕跡の名が各地に残っていると博士は言っています。
曙海の畔からの始まりが「西郷どん」系であったというだけでなく、列島中に拡がっていた事、そしてその後に、暮らし振りの違うユーラシア内陸の狩猟族や稲作渡来族に込めやられた歴史も窺がえます。
ともかく、ユーラシア東部沿岸(今のベトナムなど)や比・ルソン島、曙海の畔の人々、皆同じような種族でしたでしょう。
繰り返しますが、金関博士は残った言葉などから想像も交え推論したとして、学者としては、慎重に断定を避けてます。(ご謙遜です)
しかし、「歴しニア」的には人類史の流れ、日本人とは、日本史の始まり、日本祖代と縄紋・弥生時代などを明きらかにしうる納得のビンゴ!です(はい、我田引水と言われるでしょうが)。
やはり、「西郷どん」系が、始まりのご先祖様なんです!(アイヌに追われたコロボックルにも光を)
明治維新150年、いや「西郷どん」が怒ります、ち・が・う・だ・ろ~、4万年前に想いを致せと!
(了)