日本祖代・祖人、そして祖語について

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これまで4万年前に曙海の畔を九州に渡って来た日本列島人の始まりの頃、即ち日本祖代とその人々である祖人について探ってきました。

そして、九州から北上した祖人は、3万年前頃には北海道に達し、止まることなく北上を続けてアメリカ新大陸に沿岸から入って行ったであろう初渡米についてお伝えしました。

さて、記録に残っていることや分析した当時の時代史を重ねてみますと、始まりの祖人たちが話していた日本祖語の痕跡があるように思われます。

「初めに言葉ありき」、あの聖書Bibleに書かれたことですが、実は聖書の生まれる遥か昔の日本祖代語を考えますと大変深い意味があります。

下写真のインド南部カルナタカ州のアラプール村の自宅近くでハヌマンラングールの群れに餌を与える2歳のサマルト・バンガリ君が日頃、野生のサルと遊ぶ様子が評判になっているそうです。

2歳男児とサルの群れの友情が話題、毎日欠かさず遊びに インド 2歳男児とサルの群れの友情が話題、毎日欠かさず遊びに インド

サルと遊ぶ2歳の子(写真:AFP通信から)

私には、これは興味深~い意味がありますね。

まだ、言葉をしゃべれないサマルト君は、動作発声コミュニケーションのレベルの人猿交流というべきことで遊んでいます。

米MIT大学のチョムスキー教授によれば、実は言葉は、コミュニケーションのためよりも頭の中の思考のために発達したそうです。

そして、未熟な2歳の子と同じく言葉・思考の無い動物達と、人は4-5歳になるともはや完全に違くなってるそうです。

南洋のパプアニューギニア部族は石器時代のような暮らしと言われますが、その赤ちゃんもロンドンに連れてきて育てれば、やがて普通に学校に行って英人になる素質があるんだそうです。

他方、DNAが人間と極めて近しいチンパンジーは、言葉を理解し、操り、思考することが全くムリな事が幾多の実験で明らかになっています。

正に人と動物の違いは、初めに言葉・思考ありきの分野です。

(成長していく赤ちゃんともう1回3年間くらい暮らしてみたいですね、どのように言葉と思考が育っていくのかという事を観たいものです。)

生まれた赤子は、1年以内に母親の音声システムの抑揚で泣くそうで、フランスやドイツの子と日本の子は微妙に泣き声が違うそうですよ。

これまで地球に500億種の生物が誕生しているそうですが、人のみが言語を話し思考するという奇跡だと言われていますが、AI時代でもあり解明が進んでいってるようです。

さて、人が現在の脳容量になったのは10万年前頃で、8万年前頃には造形美術や身体を装飾することなどが南ア・ブロンボス洞窟で見られ、それらは他から学ぼうとする事で進歩した、言葉の脳力と関係深いと考えられています。

ところで、人は言葉を獲得し今まで何百種もの違った言葉がありますが、700万年という人類史では最近の事です。

従って、他の星の宇宙人(いれば)からすると、地球人は皆同種の言葉をしゃべっていると感ずるだろうと考えられています。

言葉能力を獲得して出アフリカを果たし、インドネシア、スマトラ島で発見されていた歯が7.3万~6.3万年前ということで、北上して日本列島にやって来た事になります。

爆発的にか徐々にか意見が分かれてますが、言語力や認知思考力が5万年前頃までには素質として今のような高いレベルに達していたようです。

この能力によって、Sundaland地域からかなりの家族が舟か筏で数十kmの海を渡って豪州に達していたと考えられており、北上して日本列島に達し、米新大陸にまで移動・移住していっています(MPOR説)。

日本列島九州への渡来が4万年前頃とSundaland時代からかなりの時間が経っていますのは、緯度を北上した寒さに慣れる必要があったからではと考えます。

そして、九州渡来後に注目されますのは、約1万年間で同じような言葉を話す祖人が水平拡散で北海道にまで、垂直拡散で高原の長野野尻湖にまで拡がっていたとみられる事が遺跡遺物から考えられ、注目すべき大きな特色です。

その後も列島には北から西から人が入ってきていますが、大陸の人はもとより、同じ言葉を話す出て行った人たちが再び入って来たという側面があることも考慮する必要があります。

そして、次の大きな人の渡来流入まで更に1万年間にわたり熟成しましたが、この事は土台として注目され、私はこの始まりの約2年間の祖人語が、祖層・第1層と考えています。

次いで氷河期最寒冷期となり、2万年前頃に北から西から大陸の狩猟民族の人々が入って来て新しい文化と言葉も持ち込まれ、大きな変化がありました。

それまでの祖層に交じって混淆あるいは混在のまだら模様の状況で、言葉の第2層と言うべきものになっていったと考えます。

この異質な言葉が混じった第2層がいわば縄紋語であり、地域性があったと考えられますが、そしてこの2層に人類がアフリカを出た頃の古い基層言語が残っていることが極めて重要です。

即ち、海の民系の言語に内陸狩猟族系の言語が流入しましたが、出アフリカ古層A型がしっかり残っていました。

古代のアイヌの言葉と北西九州の言葉に共通した語が幾つか痕跡として発見されていますが、アイヌが九州に居たということでなく、それらの語は、かって古い時代に列島各地で幅広く共通に話されていたものであると考えられています。

その後、万年続いた縄紋時代が終わって弥生稲作系と言われる人々と文化が西から入って(3,000年前頃)大きな変化が列島に生じました。

この変化の第3層は、列島の南北端に第2層・縄紋語を話す人々を残し混合された、その後もずっとこの基本的な構造を留めた、言わば日本語の基層だと考えています。

(注:赤い点線矢印が、2万年前頃の北、西からの新たな渡来です)

①九州から広まった祖人によって列島中で話された第1祖層・祖語、②北と西からの新たな狩猟族流入による変化の第2層・縄紋語、③大陸から渡来した弥生稲作系を主に形作られた第3層・基層語、という変化を我が国の始まりの頃の言葉の歴史として考えています。

そして、基層(第3層)に残された我が国の南・北端の古代の言葉の痕跡からその変化の流れについて、古い日本祖語にまで思いを馳せられることが何と言っても特徴でしょう。

そして、それが人類史の古い出アフリカ古層A型の類型であることが特筆されます。

日本語が、簡単にぴったりあの言葉系であると言えない事こそが、大変古い混じり合いの言葉、そしてご先祖様だということになります。

最新の研究により、米大陸太平洋沿岸を含めて、環太平洋語族と括られて認識されるようになったことが、何よりも現生人類の環太平洋時計回りの移動移住MPOR説を裏付けるものと考えています。

今年は犬年で、日本でワンワン、アメリカでバウワウ、ロシヤでガフガフ、インドネシアでゴンゴン、・・・ですが、聴く人の耳の差でしょう。

でも、2度繰り返す畳語であるのは共通です。

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(了)

 

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