下図の通り、7万年前から5万年前が4℃の低下で、5万年前から3万年前が12℃の上昇であり、九州渡来や渡米など、日本人が注目すべき数々の大きなドラマがありました。
第1図
そして、ヤンガー・ドリアス(YD)期の寒戻りを過ぎて更新世から完新世への大転換となり、私は、日本祖代から縄紋本格(早期)へと変っていったものと認識しています。
東南アジアSundaland地域から日本への北上が遅れたのは、寒さと共に緯度を北上するのが難しかったからでしょう。
5万年前頃、一番寒かったからか、あるいは温暖化していく変化のときに人の認知能力の大きな発展(ビッグ・バンと呼ぶ学者あり)があったのかもです。
そして、台湾山地から曙海西側を北上し、九州に渡来して日本列島の東西を北上して3~4℃の気温上昇の中、北海道にまで至りました。
第2図
引き続き千島列島(あるいはオホーツク沿岸)、ベーリング地峡沿岸通過、アメリカ・アラスカ通過まで、一貫した気温上昇と比較的な温暖期であったことが、日本祖人を生み、かつ、発展できて渡米し得たラッキーなことでした。
第3図
なお世界史において、7~5万年前の期の4℃低下の寒冷期は、よく認識する必要があります。
現生人類の発展における出アフリカ後の東進、水平拡散の豪州は分かりますが、北上の九州渡来には時間を要しました。
従って、高緯度寒冷地へ北上していく拡散となる出アフリカ後のシベリア・中国内陸への北上進出については、私は眉唾の認識です。
現生人類・新人は、むしろ太平洋岸から河川を遡行する内陸への拡散であったのではと考えています。
内陸では、原人・旧人の遺跡と新人の遺跡をしっかり区分することが重要です。
いずれ我が国でも旧人遺跡(もしかしたら原人も)が、発見されたり認定される時が来るかも知れませんので。
(了)