人間の進化の歴史では、顎と脊椎が出来た4億年前頃の魚が原点だそうです。
その後、両生類として海辺で暮らし、やがて幾多の変化を経てサルになって、現生人類に進化していきました。
ここで、ヒトの体に残る海・水辺で暮らしたと思われる体験、泳ぎや潜水能力、イルカなどと共に知能に優れ音声コミュニケーション力に優れる点などの海に関わる点が注目され、進化の過程で水辺に馴染む暮らしをしていた種族なのではと思わせます。
4万年前頃、曙海の畔から両生類が陸上に上がるように現生人類が九州に上がり北上しましたが、太平洋側の早い段階での神津島への渡海による黒耀石採取が注目されます。
そして、当時からは海水面が数十mも上昇したために祖代の暮らしの痕跡は見つかりませんが、その近くの海沿い、万年前の三浦半島の夏島遺跡は、何とか祖人の暮らしを想像させます。
四季折々の海の幸や山の幸など今の日本の特色を思わせる多彩な物を食していたことが、貝塚で発見された物から分かります。
既に丸木舟で外洋魚を釣ったり漁網で魚を獲ったりしていたようです。
長く島だったので遺跡が運よく残っていたと言えます。
(遺跡説明)貝類以外に魚類も利用していたことが分かる。出土量が多いボラ、クロダイ、スズキ、ハモ、コチなどは水面近くを回遊する習性を持つことから、銛やヤスによる突き漁、小型の骨製U字型釣り針が出土していることから釣り針を用いた釣り漁、漁網を用いた漁などが行われていたことが推測できる。またマグロやカツオなど外洋性の魚類も見られ、丸木舟によってかなり沖合へ乗り出して漁労活動していたと考えられる。固い殻で覆われたドングリやクルミなどの木の実をたたいて砕いたり、すり潰したりする石皿や磨石などの石器の道具類が貝層の中から出土している。また、シカやイノシシなどの動物の骨や釣り針なども出土している。
四面環海、長い海岸線と島に、そして川辺の高地にも日本祖人のこのような暮らしがあったことを想わせられます。
鹿児島―高知ー和歌山南ー東海南ー伊豆・三浦ー房総、4万年前からの「海の民」日本祖人の暮らしの微かな痕跡が感じられます。
日本祖人をさておいて、アイヌが先住民?腹筋崩壊です。国会決議は、先住民の語を外し、アイヌの人権を尊重する決議と名称変更すべし、日本歴史学の恥辱です。
さて、それでは、早めに渋谷ハロウィンをお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=Ok4ieD3oPVY&t=120s
(了)