現在、台湾と日本は1時間の時差がありますが、台湾の人たちの中にこの時差をなくして日本や韓国と同じ時間にしようという意見が出てきています。
現在の日本文化や日本統治時代の良い想い出があることも一因でしょう。
ところでそうなりますと、正に4万年前頃の日本列島史始まりの日本祖代に戻り、下図の曙海の畔が注目されます。
日本祖代の人たちは、どんな顔立ちだったのでしょう?後の時代の縄文人と出アフリカからSundaland(東南アジア)を北上してきた人たちの混じったような顔でしたでしょうか。
さて、よく縄文人は何処から来たのか?という問いが発せられますが、これは誤りです。
日本祖人が、3万年前頃、概ね列島全域に拡がった後、大陸からの新たな異質な狩猟族の進入を2万年前頃に受け、列島での暮らしを多様に熟成させた日本祖代の約2万3,500年という長い時を経て、土器が現れて縄文人と呼ばれていきます。
その頃の人は、当然、列島に継続して住んでいる祖代の人たちであって、ある日に皆が縄文人に変わった訳ではありません。
ところで、「江戸人」と言って1枚の絵を出せるでしょうか?
北の北海道から南の八重山迄生活している多様な人々を1枚でこういう人と言うのはムリでしょう、誤解の元です。
この始まりの日本祖代は、世界の行き止まりの列島で2万年を越える長い時代を過ごした海の民である日本祖人の列島における風俗習慣、文化が作られた時代です。
西・南と北・東の違いや地域ごとの人と暮らしぶりの違いも出てきていることが、残された石器などから分かります。
この日本祖代は、決して無視されるべきではない、ある時から縄文時代と呼ばれていく、未だ学術的な名前すら与えられていない、私たちの遠い祖先である日本祖人が暮らした始まりの時代です。
この国の原風景であり、近年、世界で認められている日本文明の始まりなのです。そして祖先である日本祖人は、おそらくは世界史上初めて北海道から環太平洋地域をアメリカ大陸に渡って行ったと考えられる人たちなのです。
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
(了)