中国科学アカデミーによる湖南省で発見された天元人DNA(4万年前)分析の最近の発表では、下図のように中南米にまで拡がっているとされ、欧州ではアジアとの違いも注目されるでしょう。
確かに東部ユーラシア・アジアで、万年前の時代に拡がって行ったのはそうなんでしょう。3000年前頃には、更に、スンダランド地域にまで拡がっています。
ところで、この分析と米国Harvard医科大が頭抱えた、上図黒丸の豪・パプアとアマゾン古部族のDNAの類似性の問題を併せ考え、カムチャッカ半島のDNA、そして人類史の補助線というべきSundalandに目を向ければ、それらのリンケージが上図のように認識されます。
不思議な事ですが、日本において4-3万年前の旧石器遺跡・遺物が豊富に発見されている状況を、こういう世界人類史の文脈で考察した論文は意外に有りません。
さて、インド、東南アジアからカムチャッカを経て南米というリンクに注目する事は、出アフリカ人類の最古の進出ルートとして、南米に至る環太平洋沿岸に沿うものがあった事を認識することになります。
一番問題となるのは、北方領土~千島列島~カムチャッカ半島東岸~ベーリング地峡沿岸を行く可能性ですが、このサイトの読者の皆さんには既にお馴染みのものです。
最新の研究により、米国西部海岸のオレゴン州の古い遺物などが従来の下図Beringia地峡ルートでは説明できず、昆布ハイウェイで沿岸を渡って来たのではとなってきていますよね。
残念ながら、何となくシベリア内陸東部からというイメージが世界の学界の主流のようです。
当サイトでは、次々に見えた千島列島越えやアラスカの寒さなどを踏まえ、重要な点としてベーリング海に北極海の冷水が入っていなかった当時の状況や動植物の東西対称性などを指摘し、南米における古い遺跡・遺物の情報と併せその最古の移住進出を提唱(MPOR説)しています。
それはとりもなおさず、環太平洋ルートで通過して行ったそのリレー中間の4-3万年前BP日本祖人(今は列島で発見しにくいDNA)が、初渡米したことを示すものであります!(進出可能という前述内容の前回分もご参照ください)
(https://youtu.be/BGrhO1ntyYo)
(了)