現生人類による4万年前頃の我が国始まりの時代は、今より気温も海水面も低く、私たちとは異なる旧人(デニソワ人系)がまだ存在(鬼の記憶?)していたようです。
日本祖人を考える場合、現生人類の出アフリカ後の歩みとこの時代の日本列島に残る遺跡の状況を考えれば、基本的に南から北に北上して拡がったものであり、何よりまず揺籃の地である「北東ア地中海」が注目されます。
南方から台湾山地地域に北上して来た海の民が、九州北部(八重山にも?)に至りました。九州に達した時代には、同種の人々がこの地中海ほとりの海辺や島々に住んでいたことでしょう。
台湾山地以降(海水面低下を考慮)は、八重山へは家族で容易ではない75km幅くらいの黒潮の強い流れの深い海を渡って行く必要があり、一方の九州北部へは、北東ア平野沿岸の長距離を気温の低さ(現在-4度C)に適応しつつ北上し、対馬へは、よく見えていたものの数十km幅の浅い海を越える必要がありました。
北東ア地中海の西岸地域から海を越えて日本祖人になるのに、現時点の判断では約2万年(!)をも要したことになります。
この事は、①台湾からの長距離北上の気候適応と②家族集団での渡海に至ることが容易ではなかったということです。
また、宮古島―沖縄本島間の離隔(約170km)の大きさを考えますと、私は沖縄本島への当時の定着は、北の南九州・奄美大島から南下したのかもと考えています。
つまり、日本の始まりは、先ず当時の「北東ア地中海」の畔での暮らしぶりに想いを馳せることが極めて重要です。
そして日本祖人は、新たな人々の渡来を得つつ列島を北上して降雪寒冷の厳しい北海道にまで拡がって原風景を作り、島国独特の文化を長い間に熟成させる基盤となりました。
その後の画期としては、特に西日本が大きな被害を受けた鹿児島・姶良大噴火(AT、2.9万年前頃)があり、その時期以降は祖代後期となります。
次いで最後の氷河期が終わっていく状況の中、土器出現(1.65万年前)をもって縄文時代・縄文人と呼ばれることになりますが連続したものです。
また、この日本祖代には、ベーリング地峡沿岸から昆布ハイウェイを、人類として初めてアメリカ新大陸に進入して行ったイベントが含まれているものと考えています。
3万年前に北海道東部に達した日本祖人が、食料豊かな地への北上をプーチンもいないのに続けなかったとは思えませんので。1.6万年前頃には、アメリカ北西部オレゴン州の太平洋沿岸や他の内陸でさえ海沿いから既に人間は達していましたし。https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
この間に、西・南と北から、種々の人たちが入って坩堝の中で日本人が出来上がっていますが、基本的には2種類と考えています。
アフリカを出た頃の面影を留めながら沿岸を移動した海の民A系か、内陸での厳しい気候に適応し大型動物を狩猟したDNA変化のB系かです。
現在は、長い万年の歴史からは最近ですが、闘いに強い内陸狩猟民族B系の影響が強いようです。
地球の温暖化、汚染、自然破壊などを見ますと、現代の私たちは色々な意味において、基底にある海の民系の自然と調和した質実の暮らしぶりに注目する必要があると考えています。
(了)