日本の始まり、日本祖人の時代を考える⑤—東亜地中-海を越えて来て拡がった日本祖人

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現生人類が、数万年前に出アフリカを果たしてインドを経て東進し、サフルランド(豪オーストラリア)には5-4万年前頃に数十kmの海を越えて移動進出、また、パンカル半島地域から北上して日本には、大陸沿岸Xルート・比Yルートを経て4万年前頃に同じように海を越えて入ってきました。

日本人のDNAが、遠く離れたアンダマン諸島の人と近いことや日本語がインドのタミル語と近いという話を聞いても、私は驚きません。

当時は海水面が数十m低かったために、北の朝鮮山地と南の台湾高地の間に広大な東アジア平野が形成されており、今よりずっと近づいた日本列島との間に台湾の凌教授が命名した東亜地中海がありました。

パンカル半島地域のスラウェシやパプアなどに残された古い洞窟絵には舟を描いた(帆があるのは驚き)ものがあり、発掘された貝塚遺跡からは、外洋を含む水産物を食した海の民の暮らしぶりが広範囲で確認されていますので、東亜地中海のほとりは、舟を操り水産物を主に食する人たちで満ちていたことでしょう。

それは、木、竹、石器、骨器を使って様々な物を作りだし、葬送、祭祀、信仰、素朴な芸術のある文化を有するはっきり新人になった、類人猿・旧人とは全く異なることが窺える暮らしぶりです。(日本祖人は、もしかしたら東北の金取遺跡などの旧人と遭遇していたことでしょう。「なまはげ」などはその遠い記憶かも知れませんね。)

 

この海の民は、内陸で主に大型動物を狩猟して暮らしている人たちとは明らかに違う習俗で、寒冷降雪地に適応した色白になり大型の人たちと風貌もすでに違っていました。

パンカル地域では、今も大竹を使用する筏が普通に使われており、山中であっても伝統様式の家々は舟を模るもので海の民の末裔であることを誇りにしています。

 

そのような文化の流れと同様な暮らしが、氷河期の寒さが少し緩んだ東亜地中海のほとりでは一般的でしたでしょう。

そして、多くの男女家族が舟で海を渡って来るということが決して容易ではない時代に、海についての知識、造舟及び操舟のノウ・ハウを有する海に馴染んだ人たちであり、十分に実際の経験を積んだ潮の香りのする人たちであって内陸の山野狩猟人とははっきり異なります。

このことが、日本祖人始まりのイメージにとって大変重要な事で、黒潮に沿う形で沿岸を北上してやがて北海道にまで至りますが、2万年は続いた日本人の基層、原風景です。

貝塚、海人、西日本の広い範囲の沿岸から長野などに残る海部の人名、山中であるのに舟・船の名の地名など、遠い昔からの深い結びつきを窺がわせます。

さて今では、4万年の時が流れて地形も変わり、海水面も上昇しており生活の痕跡を見出すことは困難ですが、米国に残る海辺のネイティブ・アメリカンの暮らしのようなものであったでしょう。漁撈、採集を主に狩猟や植物の栽培も並行的にあり得たものと考えます。

何しろ、パンカル地域の豊かな文化の海の民の子孫が、北上して東亜地中海を男女家族のグループが舟で渡って来て定着したのですから。

それではどんな人たちだったのでしょう。

まず第1に、海の民であったのでその後の状況から一部の地域では現在まで続く、入れ墨・文身で描き飾っていたものと思います。海中で活動する場合、サメなどに襲われないため入れ墨が効果的で一般的だったと言われていますし、他部族もいる社会生活で意味を持っていたものと思います。

 

も一つは、現在も首都ジャカルタの高層ビル街から200kmくらい南西の山中で全く独自の伝統文化を守り、世間と隔絶して暮らしているバドュイ族の人たちに見られる首飾り、腕輪などの装身具をしていただろうということです。

これは、パプアなど原始的な暮らしを残す世界の各地で、今も一般的によく見られます。東亜地中海では、貝がよく使われたことでしょう。

さてでは、どんな風貌の人たちだったのでしょう?

これは全く難しい質問ですが、強いて答えれば、大陸沿岸の江南に見られる海の民の絵の人と、比の先住民の人たちの混ざり合った人のようであったのではと思います。

いずれにしても大事なことは、当時の東亜地中海のほとりの人々が概ね同様で、日本列島に東アジア平野の北部から入って来ても南部から上がって入って来ても似たような人たち、暮らしぶりの人たちであったろうということです。

アフリカを出た黒い肌の人たちは、その後、約8千年くらいで今の欧州人のように肌が白くなったそうですが、4万年前頃の東亜地中海のほとりにおいては、前述の案のようでしたでしょう。日本祖人の始まりの風貌です(何方か絵にしてください)。

その後時代が過ぎて、地形もそして大陸の内陸から多くの人たちの進出で沿岸の人たちも大きく変わりましたが、現在の私たちはこの東亜地中海に思いを致し、も少しお互いが仲良くしてもよいだろうと思います。

(了)

 

 

 

 

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