図右 教室の年表には「祖代」用語がなく(後期旧石器時代で放置)、世界に通ずる分かりやすい説明・議論ができず大きな問題です。始まりは南方北上の一方向性(北海道へ北上、沖縄へ南下)であり、長期定着し縄文に繋がり(浜北遺跡で実証)ました。巷間本・博物館等の3方向(樺太、朝鮮半島、台湾から)渡来図は、3つの時代の違いと進入の影響度を無視した誤解の元で最も可能性の高い沿岸ルートが無いのが問題です。今、青森~北海道東の祖人が渡米・西沿岸南下に関わったのかが世界の注目です。
図左 島国の膨大な遺跡実証により、約4万年前(学界主流)からの暮らしを推定できる事は世界の驚きです。大陸・半島(当時は無かった)から来たと言うのは誤解で、曙海の沿岸海民の沿岸・多くの小島暮らしを経た北部九州への渡海です。伊豆の生業航海は謎ではなく、陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器、釣り針などの世界先進(原始人ではない)の暮らしに注目し紹介すべきです。
教室は周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ)