➀アジア東部の内陸族系野移住説、欧米ではこの東部シベリア狩猟族ルートが認識されてきていますが、近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりにより、DNAと足跡の発見から2.5万年前頃に北のベリンジア南岸で大槍を捨て「海民化」暮らしに転換したという論が登場しています。実はこの時代標準で見ると、東部シベリアで遺跡・遺物の発見は無くあくまで「環太平洋ルート」と同じ説です。
②環太平洋ルート説の行程
近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりで、日本の遺跡・遺物、特に伊豆の生業航海(3.8万年前)、南方スンダランド地域の遺跡・遺物が注目され、「環太平洋ルートMPOR」説の提唱(祖代研)に光です。
各区間の特色は、以下の通り(祖代研)です。
A~B:緯度北上に最も長期間を要しましています。南方民「インマレイ」(欧州学者の「旧モンゴロイド」用語は誤解させる不適切)が、裸体から衣服・居住暮らしの大変化に適応に期間を要したのでしょう。
B~C:長距離・極寒の区間ですが、意外に普通速度です。日本で既に北の暮らしの準備ができていた、「昆布(kelp)Highway」の食に恵まれた、沿岸気候は相対的に極寒を緩和していた、ことなどが考えられます。
C~D:赤道を通過する相対温暖の沿岸をフネで南下したと考えられます。チリのMonte・Verde遺跡(1.45万年前)発見で、欧米が「急行」と名付けましたが足跡発見を考慮すれば実はちょっと速い普通です。
36,700年に及ぶ環太平洋ルートのこの特色は納得の1例であり、北海道東祖人に光という日本史の重要内容です。
教室に世界に、「環太平洋ルート」・「インマレイ」・日本の「祖人Sojin」の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ )