巷間の博物館等の3方向渡来図(吹き溜まり・閉じ籠り説)は、時代の違うモノを一緒にした誤解の元です。なお、約4万年前の始まり祖代・縄文時代で92%の日本史期間は、ヒトの脳が過去を抱えた建て増し性質から内的基盤でありAI時代に重要なのです。
➀約4万年前は海面低下約90mで地形が今と全く異なり、曙海の小島の多かった北東亜平野の沿岸を時計(右)回りで沖縄にまで移住し拡がりました。当時なかった「朝鮮半島」から来た、台湾から来たは誤りです。
②朝鮮山地(半島でない)のルートは始まり時代の考古痕跡が無く、時代違いで内外に誤解です。南岸を来ましたが後の古代史では倭と考えられる所であり、重要な点です。
③宮古島から沖縄本島へは300km、行方も全く見えない慶良間ギャップを多くの家族が何日もかけて計画的に意図して越えるのは、始まり当時はムリでしたしょう。黒潮北上ルート説は諸痕跡からも学界で否定されています。2.2万年前頃の港川人は、3万年前頃にはいなくてその頃にはいた猪が鹿児島・奄美からと考えられますので、一緒だったのでしょう。 ④祖人が列島を太平洋側と日本海側(当時は大雪も降らず)から北上し中央部では連接、仙台では北海道暮らしの予行練習もし、青森・陸奥平野(当時は海面低下で標高約40m―中野区くらい)において東西から北上した祖人が合一した賑いです。この異質の合一は知的に重要であり、道南を加えた3方で後の世界最古の土器や芸術的な土偶などを生んだ背景でしょう。祖人は狭かった海峡を難なく越えて(冬は氷上を歩いて)予行練習していた北海道に進出し、3万年超えの痕跡を帯広に、古痕跡を千歳や遠軽白滝などに残し、留まる理由もなくずっと北上を継続した事でしょう。
他方、沿海州・樺太からは最寒期の避寒や数千年遅い細石刃文化の樺太からの南下が挙げられていますが時代違いであり、その人的な影響も不明です。北海道から出て行かなかったと誤解させる南下図は、近年の北米沿岸南下説の高まりで北海道東が注目されている事からも大きな問題です。
北部九州への渡海の細部、沖縄・本州への拡がり、北海道進出と北上継続及び大陸系種族の南下時期、そして「環太平洋拡散説」を教室に紹介をー日本祖代研究会(RGaPJ)