1. 曙海
➀水田稲作の伝搬は海水面上昇の西岸ルートであり、呉越系難民のみならず縄文海民による漁農の可能性もあります。②長崎の人々は、元寇捕虜への対応において朝鮮半島北部民には苛烈でしたが曙海西岸民には寛大だった、歴史的な沿海親近性に注目です。③「五島列島の海士は容姿が隼人に似ており、騎射を好み、言葉も俗人と異なっている」(肥前国風土記)古さの沿岸南下ルートを示しています。➃沖縄の貝交易は、トカラ~九州西岸の曙海東岸の逆北上ルートを示しています。
2.パンカル海
⑤西岸では広域万年前の旧石器・根菜農耕のホアビン文化、東岸では数万年前の古い洞窟遺跡群があり、そして東北の比台地区の原住民は酷似しており、台湾東方小島のタロ族は祖先が丸木舟で海峡越えて来たという伝承(第1級のフィールド・ワーカー 東京帝大 鳥居龍蔵調査)を有する黒潮ルートに注目です。
出よ、アジアのFernand Braudelー日本祖代研究会(RGaPJ)