世界史界が注目する北海道の祖人・縄文人が、何を食べていたのかの科学分析から巷間言われて来ているイメージと全く違った姿が明らかになっています。大陸からマンモス・ハンターが南下して来た、当初大型哺乳動物を、温暖化後には中小型を狩猟して暮らしていたと言うのは誤解です。
1.昆布(Kelp)ハイウェイ上
太平洋岸は相対的に厳しさが少し緩く、世界が注目の「昆布(Kelp)ハイウェイ」上の襟裳岬は演歌と違って年中何でもあって食は大きな魅力でしたでしょう。大型動物に比し獲得しやすい海獣(アザラシなど)は、革は衣に住まいに骨は道具に脂は火で暖かになるなどすべてが北の暮らしに有用です。
2. 津軽海峡は狭く、本州で暮らしの予行練習済
海民性の祖人は、対馬海峡・トカラ列島や「伊豆海峡」を越えて拡がり活動していました。北での暮らしについては既に、仙台・日本海側からの北上間に当時の気候環境から予行練習済みであり、当時の海水面低下で現れていた陸奥平野で、太平洋側と日本海側の祖人が合一して諸情報を交換していたと考えられ暮らしのknouhowは充実していたことでしょう。海峡はフネでも冬季の氷上徒歩でも容易に越えられました。北上し続けて来た祖人にとって、北海道で留まった理由は無く(プーチンはおらず)処女地の樺太千島へ北上を継続したと考えるべきです。この種問題は、実証が無いから無いモノとして無視するのではなく、否定できないから有り得るとして研究すべき性質の問題であることが学界で誤解されています。
3.最初のアメリカ人問題への関わり可能性
千島(占守島)には6千年前の縄文痕跡があり、ロシア学者は祖代の遺物にも言及しています。昆布ハイウェイ北上継続による関わり可能性及び明治期先達が論議した北千島コロボックルCorobocle(留頓ルートン)についても、教室で研究議論し世界に発信すべきなのです。
ー日本祖代研究会(RGaPJ)