(日本史最前線) 列島中央部の始まり祖代の遺跡・遺物がなぜ今、注目なのか

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

世界人類史で、図左北米ニューメキシコの足跡(2.3万年前)発見が、アメリカ新大陸の移住祖史を数千年遡らせて「誰が、いつ、どのように」は白紙化です。

そもそも東部シベリアとアラスカには、ず~と南下した移住に長期間を要する南米南部の痕跡(モンテ・ヴェルデ14,500年前)程度より古い遺跡は発見されていないブラックボックスなのです。それなのに長い間、「シベリアのマンモスハンターがベリンジア(陸峡)からマンモスを追って入って来た」説を実証第1とする学界が言い巷間に広まり、近年やっと「内陸の無氷回廊は開いておらず、沿岸からフネで来た」説が登場し有力化してきています。

さて、そのブラックボックスに至る以前の状況をみると、図右北海道はもとより列島中央部の充実の痕跡は地域でダントツなのです。最古賑わいの東京・鈴木遺跡や静岡・愛鷹、黒耀石採取の神津島への世界最古の生業航海などに加え、静岡浜松と愛知・三河の実証人骨が祖代と縄文への繋がりを示し、長野の高地での活動や栃木・佐野、千葉・佐倉のキャンプなど暮らしぶり、神子柴の至宝も明らかにしているのです。

問題は、この始まりを論ずる適切な用語がないために、内外共に歴史的に未登場の「Jomon」「Ainu(13世紀)」を述べる誤解が始まり祖代の議論に飛び交っており、祖代・祖人(Sojin, Proto-Japanese)の語で日本祖代研究会(RGaPJ)が発信しているところです。図左、米国学者には北米遺跡(アイダホ州)の石器が北海道(遠軽・奥白滝)物に似ていると学術分析している説も出ていますが、日本ではこの日本史に係る重要な人類史課題を積極的に論じておらず、教室は紹介すらしていない周回遅れの状況なのです。

近現代の先住民NativesのDNAは、新しい時代のシベリア・ハンターの影響を受けていますが、重要なのは逐次入って行った人々の積み重ねた伝統・信仰・言語などの暮らしぶりです。北海道、列島中央部の痕跡を教室に、世界に発信を。祖代研は、歴史文化行政の抜本改善を強く求めます。

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