(日本史最前線) 遺物、環境、DNA等の最新の考古探究による日・米の始まり祖史

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日本の始まり探究は、世界祖史の視点からも考察すべきです。①当時は広大なベリンジア(大陸地・地峡)によってアジア(東部シベリア)がアメリカ新大陸と繋がっていました。

巷間では東部シベリアから狩猟族がベリンジアを通って新大陸に入って行ったと教えられ、実証を強調する学界すら当たり前に書いていますが、実は図右、南米南部のモンテ・ヴェルデ遺跡より古い石器はベリンジア地域では発見されていない不思議なのです。無論、北米ニューメキシコで発見されアメリカ史を数千年遡らせて議論されている足跡(子供達や哺乳動物等)の23,000年前にはお手上げです。

それで当時より海水面が数十m上昇して痕跡が海面下の沿岸ルートが注目されますが、北極海の冷水がSTOPされて「米臨海」に流れ込まないと海流が今と違って親潮寒流は無く、赤道から北上したアラスカ暖海流(冬季は南よりの風が卓越するので比較的温暖で,海水温は5℃以上と高い。流速1ノット以上)が周回していたであろう事は重要です。

当時は氷河期でしたので今とは違うでしょうが、厳しかった極寒のシベリアより沿岸の寒さが緩和され濃霧の環境が違っていれば、相対的に沿岸ルート(カムチャッカ、加・米西岸、千島も?)の移住を納得させます。そして、②間宮・宗谷海峡が閉鎖、津軽・対馬東海峡が狭小化し対馬暖流の北上は無く、日本海は言わば穏やかな日本湖(的)になり、家族が約4万年前に大筏(いかだ)で「曙海」沿岸から湖面のような状況で対馬・北部九州に移住となります。

というのは③当時は、朝鮮半島も台湾も山地であった「北東亜平野」の時代であり、未だ全くモンゴロイド化(寒冷・寒風・降雪で身体へ変化)していない南方「インマレイド」が北上(DNA分析)した沿岸海民が、北部九州に渡海して沖縄へ南下し北海道へ北上したことは、➃愛知・伊川津縄文人のDNA、近傍の浜北祖人・縄文人骨、小柄な蜆塚縄文人骨で窺われます。

筏を造り海を越えた認知・言語力から瀬戸内・近畿祖人のサヌカイトを使用する難しい石器加工や伊豆の生業航海、社会性ある陥し穴猟、長野高地への適応と多種の石器群などを納得させます。東西合流の陸奥平野の賑わいを基盤に⑤3.5万年前後から北海道に適応し、国宝の石器群を遠軽白滝に残して千島、樺太へ北上を継続し、千島と樺太・オホーツク変わりの2ルート合流説のKポイントである北千島には小柄で南方系の「留頓(ルートン)」種族祖先の6千年前の痕跡があります。

関連して興味深いのは、⑥アメリカの研究者(Dr. Loren Davis) が、アイダホ州Cooper’s Ferry遺跡の石器が北海道・白滝物に類似していると発表しています。また、コロラド川畔のケネウィックマンは海産物が主食で、無氷回廊出口の1,3万年前の子供人骨で知られるアンジック民はDNAこそシベリア系ですが淡水食が主である暮らしぶりであることなどです。巷間、石器が強調され、マンモス・ハンターが、狩猟族の暮らしぶりが祖史として一般的に描かれますが問題です。既に米国の実験考古学では、マンモスの毛と肉厚で北米石器では難しいと結果が出ています。

そして、日米の始まり史に関する記述の量が、図のように大きく違っている事にも注目です。DNA偏重のきらいがありますが、日本史期間の60%の祖代の基層は、後の現代にまで至る暮らしぶり・信仰・言語などに影響するするのに教室はよく分かっていないからと教えていませんが、周回遅れなのです。日本祖代研究会(RGaPJ)は、これらの日米関わり始まり史を将来ある子供たちに、日本史の時間に紹介すべきだと強く要求します。

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