最初のアメリカ人問題で注目の日本・北海道祖人(3万年前後から、最古痕跡は帯広。遠軽白滝祖人の黒耀石は国宝指定)は、図右「道東ゲートウェイ」からの2方向の北上を始めて「Kポイント」(仮称、カムチャッカ南南部・北千島)に集約されます。
そこに居た人々(留頓:ルートン、仮称)を明治の先達が論じたコロボックルとは、東京帝大の坪井教授が列島全国に石器・土器・竪穴住居跡などを残した先人を学術仮り名で命名したものです。鳥居助教授は、大正6年になって最初の調査(明治32年)のもたらした巷間の「コロボックルは居ない」という誤解を学会講演(その後人類学誌に掲載)ではっきり訂正し、北千島の相当に古い第1アイヌ(道内アイヌは遅れて存在の第2)であると実在と先後を認識してその実情を遺跡や言語・習俗に至るまで紹介しました。
しかし、残念で不思議な事ですがその訂正が学術界で今も採り挙げられることなく教室に登場せず、巷間ではかけ離れたファンタジーの扱いのままなのです。
他方、図左の静岡・浜松の蜆塚(しじみづか)遺跡の縄文人骨は150㎝と小柄であり、坪井教授や鳥居助教の認めた列島中央部における正に実証のコロボックルです。そして、近傍の浜北・根堅(ねがた)遺跡では上層に縄文人骨が下層に始まり祖代の祖人骨が発掘され、また、隣の愛知・伊川津縄文人が最新のDNA分析で南方系であり、これらの繋がりは重要です。
更に、この南方系のコロボックルが小人と伝承され北方の北千島に居たことが歴史的に重要な繋がりなのです。他方、伊豆の海における神津島への黒耀石を求めた生業航海と交易、愛鷹遺跡、東京・鈴木遺跡など日本最古3.8万年前の実証痕跡が拡がっており、これらを総合すれば実証的に日本の始まりが示されている世界遺産とすべきものです。
よく分からないからとの理由で世界に発信せず教室で扱わないのは、全く周回遅れの不適切であると日本祖代研究会(RGaPJ)は指摘し、教育と公開展示・発信を行政に対し強く求めます。