図右、世界・日本の考古学及びDNA分析等に基づく世界人類拡散史の定説等により、約4万年前、現生人類・南方系海民の「祖人」(初代、縄文前)が、多少伸縮していた「曙海」の沿岸から、(当時)対馬暖流が無かった弱い北海流の海峡を越えた可能性の高い対馬から、家族渡海し北部九州に至って日本史が始まり、沖縄へ北海道へ拡散したと実証性をもって言える「1方向到達拡散」(巷間の3方向渡来図は誤り)でしょう。
3.6万年以降の祖人骨、縄文人骨への繋がり(沖縄、静岡浜松人)は発見されていますが、家族渡海のフネの実証が無いため教室で教えていませんが、実は十分推定しうる状況にあります。大きな要因は、①筏フネは、人類最初の豪への移住(5万年以前)で推定され南方で今も使用されている、②寒氷期で丸木舟用の大木が得られず、③行く手の対馬はよく見え、当時は対馬暖流(元々流速弱い)が無く弱い北海流の流れ込む海峡は穏やかで日和に筏の航海が可能、➃重要な知恵者・産婆として爺・婆が同行(家財携行)したと考えられ(スペース必要)、渡海は筏の可能性が高かったでしょう。
既に偵察したでしょう、奥に広大な緑の北部九州の存在情報があり、家族渡海は学問的に十分推定できます。問題は、ア.各家族・親族で筏造り航海か、イ.大井川の渡し的な専門集団による輸送が考えられ、いずれにしても認知力は優れ、イ.の場合、おそらく世界最古の職業(売春婦はまだいなかったでしょうから)として社会性が注目されます。
そして、筏などの木工・縛りの技術進化は入れ物袋などと共に縄の次代縄文文明に繋がることが理解できます。このように謎でなく4万年の古さに比べ十分な推定ができますから、日本祖代研究会(RGaPJ)は、教室で教え世界に発信することを強く求めます。