(夏休み宿題参考) 可愛いコロボックル、文明開化時代の先達の苦心の用語案出と熱い学術論議の成果を理解しよう!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

江戸・明治人の坪井正五郎(日本人類学の祖)は、「皇国の臣民が猿と祖先は同じ」(ダーウィン進化論)、「北海道の竪穴や土器はアイヌの前に居た古い人民」(プレ・アイヌ説)という衝撃の外国人論説を理解し受け止め、現地調査などを踏まえて日本の始まり探究における先人呼称について、学術用語コロボックル(現英語表記Corobocle)を案出して文明開化の人類学を興し、科学的な熱い論議を主導しました。

用語コロボックルによって、議論は謝罪・撤回の強制や失職・入牢の咎めを受けることもなく、また、仲間同士の反論を抑圧もせず、遂には学術的な(全国)遺跡分布図を作り上げました。当時はDNA分析やAMS加速器年代測定・ウラン系列年代測定など全く想像もできない時代に祖代・縄文の実相にかなり迫っていましたが、驚きの素晴らしい偉業です。可愛いコロボックルが広まっているのはよいですが、教室で当時の学術面の活動と成果が至当に紹介され教育されていないのは問題で残念な事です。その一因は、明治32年の鳥居龍蔵の北千島コロボックル調査にあり、政府の保護策で色丹島に移住させられていた島の人々はコロボックルなど聞いたことも無いと答えたことが大きな理由で世の中の熱意が失われ、やがてコロボックルはおとぎ話に変わっていきました。蕗の下の(小さな)人という意味のアイヌ伝承は、鳥居の助手である北千島出身の現地古老が「バカにするなと」と怒ったようなものでしたので、言われている当の島の人々が語らず知らないのは当然ともいえることでした。鳥居自身は第1級の優れたフィールドワーカーであり、研究の積み重ねから18年後の大正6年になって、北千島の人々は師である坪井教授の唱えたコロボックルであると理由を付してはっきり認識するに至り、講演を行い活字(人類学誌)にもなっています。問題はその事が今も師説否定と誤報され、追認の認識が正しく大きな声で発信努力がなされておらず、欧米の一流大学の教授や国連UNにこのような日本史が誤解されて誤った内容がまかり通っている事なのです。

更に昨今、人類史の最後の謎ともいうべき「初期アメリカ新大陸移住First Americans」問題において、2.3万年前のニューメキシコにおける足跡の発見で人類の初渡米定説が揺らぎ、九州~北海道~北千島を通過する昆布ハイウェイ・ルート説も登場しており、アイヌと異なる最古の第1渡道で北千島に北上したコロボックルであり、祖先の石器人遺跡を有する遊動海民「留頓・ルートン・Routon」(仮称用語)が、かつてはカムチャッカ半島南南部が主体(北海道大 高瀬克典)であって注目される時代なのです。教室でこれらを紹介する教育と学術論議が行われ、世界に発信を行って内外で正しく認識されることを強く求めます。 ―日本祖代研究会(RGaPJ)

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