(夏休み宿題参考) 縄文文明は1日にして成らず、日本史期間60%の始まり祖代についてはまずコレ1枚!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

温故知新。①隣国は4千年の歴史を誇りますが、それって明治人が日本史とした期間であり、今ではDNAやウラン系列分析法などで約4万年前と1桁遡っています。

E.モースが扉を開き、東京帝大の坪井教授が制約の中、アイヌ伝承のコロボックルの語で探究の熱い人類学論議をし、弟子の鳥居龍蔵が明治32年の現地調査で北千島の遊動海民(*留頓ルートンRouton)はコロボックルではないと広まった誤解を、大正6年にコロボックルであると正しましたが今も誤解は続き教室でコロボックルが語られることが無いのは問題です。何よりも始まり時代と人の名称が多様かつ問題があり、結論的に、日本語で簡潔な祖代Sodai・祖人Sojinの用語で説明と活発な議論がなされるべきで、鎌倉時代からのアイヌについての内外の誤解は正されねばなりません。②日本史が「大陸・半島から来た」人々で始まったと言う誤解も、伸縮していた曙海の畔から家族がフネで30-40kmを越えて北部九州に来て始まり、沖縄へ北海道へと列島中に拡がったものです。そして当時未だモンゴロイドは登場しておらず、南方系の北インマレイド(仮称)が亜寒帯を越えておそらく身体も出アフリカ黒人からかなり変化し渡海したものです。海水面が当時より数十m上昇して沿岸の痕跡を消し、九州最古は内陸の熊本遺跡群に残されています。③列島中央部は、不思議に発見が日本最古の物が多く、また、当時の宝物である黒耀石が東京神津島や箱根、長野にあったことや関東大平野などのためもあり賑わいが見られ、世界最古の生業航海、陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器、最新の長野高地石器群、野尻湖キルサイト、至宝の神子柴石器など充実の痕跡が残されています。道東の石器が北陸と似ていると言う研究者もおり興味深い事です。本州島の土質では人骨が残り難いですが、静岡・浜松に祖代と縄文人骨が同地域で発掘されており繋がりを示す重要なものです。➃南西諸島は、鹿児島から海を越えて行った痕跡が見られ、先般も馬毛島で祖代石器がザクザク発見されています。何と言ってもサンゴ礁のアルカリ性土質のために、充実の人骨が発見されており、また沖縄では石器より竹や骨が工具として使用されたと考えられ、最古の釣り針も発見されています。

⑤北では、当時の仙台に海獣がいましたので北海道暮らしの予行ができたでしょうし、陸奥湾は平野で太平洋と日本海両側の合流の賑わいがあったでしょう。津軽海峡は狭かったので、大間・竜飛から容易に北海道に進出でき3.5万年前後に拡がりました。道内最古遺跡の帯広では昨年、1.5万年前の黒耀石がザクザク発見されています。遠軽町白滝石器群の国宝指定で、道内の祖代・縄文遺跡の更なる発掘が期待されます。鳥居龍蔵が調査した北千島の遊動海民・留頓ルートンですが、世界人類史の昆布ハイウェイとして千島列島は注目されており、その占守島で6千年前の縄文遺跡が発掘され、更に留頓はカムチャッカ南南部が主体であったことが明らかにされていますので、カムチャッカに至れば世界人類史のアメリカ沿岸先住南下の要地ベリンジアは指呼の間です。日本史の60%を占める祖代は基層であり、痕跡が南と北に色濃く残っている事は興味深く、今や縄文文明と言われますが1日で成るものでなく、日系4世がハンバーグ好きで英語しか話せねばアメリカ人であるように、五月雨で列島に入って来た人々が日本島民語を話すことに秘密があり、祖語が由来の分からないくらいに古く孤立的であることは注目すべき重要な事で、隣国の影響を過大に言い募ることは誤りです。教室に世界に。

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