(新入生5月病対策)教室離れて研究最前線を知ろう(探求型へ)!日本ルートが初登場

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新入生の皆さん、教室だけではない教育探究型(文科省)の時代には、研究最前線を見てみよう。世界人類移住史の最後の謎である最初のアメリカ新大陸移住問題は、米ニューメキシコWhite Sands における2.3-2.1万年前の足跡発見で歴史を数千年遡らせ、実験考古学が巷間みられる数人が大槍を手にマンモスに襲い掛かる図を否定して、「誰が・いつ・何処から・どのように」の定説が揺らいでいます。

既にYouToubeの歴史動画においてはカムチャッカ半島から「米臨海」を経てアラスカ入りし、太平洋沿岸を南米南端まで南下した図は出ており、多くの研究者が最初の進入は太平洋沿岸と考えるようになっています。そうした中で、当ブログ提唱の環太平洋移住(MPOR: Migration along Pacific Ocean Rim)説と同様の南方系北上の日本列島通過ルート図が、図右Dr. Barnhart による歴史シリーズの「最初の米新大陸移住」において遂に登場しました。博士は、確たることは未だ言える段階でないが個人的には沿岸移住仮説を支持としています。また、南北アメリカにおけるミトコンドリア母系DNAの、欧州には見られないハプログループD1の状況を橙着色で示して明確にアジアからだと主張しました。ところが実は、このD1の上位はD4であり、日本人において最も多く、特に色が濃い南米アマゾン、行き着いたパタゴニアと同類性があることが重要で注目されるのです。左図①当時の地形の状況は曙海と北東亜平野の時代で、南方から北上して来て曙海沿岸から対馬海峡をフネで家族が越えて来たことになります。興味深い事は、現在は大陸側と認識される北京近郊で発見された田園洞人が淡水食であったことで、狩猟族ではなく曙海から遡上した海民とも考えられる事です。また、巷間の日本人祖先は朝鮮半島から来たと言うのも、そもそも当時朝鮮半島は無く、曙海北沿岸から来た海民でしょうと言うのが正しいです。

②列島の祖史では、3.8万年前に伊豆の海を越え(25km)て神津島(恩馳含む)の良質な黒耀石を求めて行き来していたことが特筆されます。朝日新聞が謎と報じたためか教室で語られませんが、既に対馬海峡を家族で渡った子孫であり、当時の海水面低下による陸地拡大のより短い距離を、屈強な男だけで黒潮分岐流の無かった時代に渡ることは謎でも何でもありません。そして、造舟・操舟の能力、長野の高地に進出して多様な石器を残していた知力を窺わせる遺跡があり原始人ではなかった状況が注目されます、また、静岡・浜北で祖人骨、縄文人骨が同一遺跡の下上層で発見されていることは、現代にまで至る人の断絶無い「繋がり」を窺わせる重要なことです。③北部では、大雪は降らず陸奥平野があり、仙台には海獣がいて食豊か、北海道史は3.5万年前後で巷間言われた北からのマンモスハンターの痕跡は無く、青森から竜飛・大間を越えて道東ゲートウェイから北上を継続、北部の遠軽町白滝に国宝答申の出土石器を残し、昆布ハイウェイを北の「米臨海」に向かったことでしょう。ここで認識すべきは、➃当時は未だモンゴロイドは登場(2.5-1万年前、Dr.Howell 米Harvard大)しておらず、南方のインマレイドInmalaidが北上し亜熱帯線を越えて変化した「北インマレイド」、即ち石垣島祖人のような人々が列島と地域に拡がっていて、氷河期の北の暮らしにも適応したものと考えられます。最後に、⑤教室では、(後期)旧跡時代~縄文時代~弥生時代・・・ですが、旧石器時代の用語使用は問題です。世界では、旧石器時代は250万年前くらいからであり、後期旧石器時代も始まり5や3万年前、終わりの新石器時代の始まりは1.2や1万年前と日本とは全く合いませんから(実は世界の新石器時代の磨製石器は、日本では3万年以前から)、英語にすれば誤解の元です。

教室の議論では、後期旧石器時代人と言うたびに舌を噛みそうですし、縄文、弥生、・・・江戸、令和と全く合わない違和感です。祖代研究会SGPJでは、既に有名で世界に定着しているJomonに倣って祖代Sodai、祖人Sojinを提唱しています。縄文時代の始まり時期論議を一応決着させ、分かり易く世界に誤解されないJomonのような日本の固有用語とすべきなのです。今や世界人類史にとっても日本理解は必要で、そもそも日本史の重要な始まり原点である祖代が教室で活発に語られないのは問題であり、用語に一因があります。

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