(新入生特集)世界人類史、アメリカ新大陸移住に関して南方系北上の日本ルート初登場!

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YouTube歴史シリーズ動画の標題写真は、①これまでのマンモスハンターがベリンジア「陸橋」を行くものではなく、海と舟と海民です。説明のBarnhart博士は、②DNAの分析と③考古学等の分析の両面から迫っています。

DNA分析では南北アメリカ橙着色図のように、広く見られかつ古いミトコンドリアDNA(母系)のハプログループD1に注目しています。D1系は、現生人類がアフリカから出てアジアに至りアメリカへという事で欧州には見られず、発生・出アフリカL3から下位に枝分かれして、M-D-D4-D1となります。数字の少ない方が先・親なのは奇妙ですが、米先住民の研究で命名が始まり1,2としたために、左図のように古い方が逆に数字が大きくなっています。そして博士がD1を示している理由は、アメリカで議論になっている「米先住民は、アジからか欧州からか」を強く意識しているためなのです。図がはっきりアジアを示している、即ちアメリカで広く見られ古くかつ欧州には見られないDグループだ、明瞭にアジアからだと言う訳です。ところがこの事は実は左図で分かりますように、上位はD4であり日本で最も多い型なのです。そして、色濃く多い南米の秘境アマゾンやパタゴニアと日本には同類性があるという注目すべき重要な事を示しているのです。他方③の考古学等では、米西海岸・カリフォルニア沖合のチャネル諸島が、かつて海水面が低下していた時代には1つであり、本土から26マイルの海を隔てましたから、人類が舟で渡ったことが分かり、ピグミーマンモスの居た時代である13,000年前の米最古の人骨アーリントン・マンは、発見された石器が同時代の本土内陸で広くいきわたっていた有名なクロービス石器とは違うタイプであり、これらの事から狩猟族とは暮らしぶりの異なる海民だったことが窺われます。

博士はこの事を新大陸進入が2系統であった可能性を考えているようですが、ニューメキシコでの2.3-2.1万年前の足跡発見で、遥かに古い時代に沿岸の海民が内陸にも拡がり、長い間に内陸の暮らしに適応していったとも考えられます。足跡時代から1万年もの期間が有りましたので。他方、南米での最古遺跡であるモンテ・ヴェルデは川筋で海岸のそばではないですが、20種類の海藻を食していたことが分っています。狩猟族系の欧米人には海の雑草sea weedであり、好んで食す人々とは違いますから、モンテ・ヴェルデ人は海と関わりがあった海民系であることを示しています。そして博士は確定的な事は未だ言えないとしながらも、これらの事と日本や豪州へは人類が舟(筏)で渡海しており、個人的には沿岸ルート仮説と思うとされ、南方北上系の日本ルート図を出しています。なお、博士の図ではアリューシャンへ東進するルートですが、カムチャッカ半島東のコマンダー諸島からアッツ島への家族で300km越えはムリだと思われ、また、遺跡は東から西への逆の拡がりですから、「米臨海」北回りルートに修正すべきでしょう。いずれにしても、世界人類移住史ではっきり南方系の日本通過ルート図は初めて見ます。➃図参考のゲートウェイである北海道、舟の行き来や古人骨の静岡、沖縄など各地の日本列島史実がこれを支えるとともに、日本の状況を世界に発信すべきです。



なお、Ainuはオホーツク系南下始まりの13世紀からで先住ではなく、万年話の本件に全く関わらない事も発信して世界の誤解を正す必要があり、むしろ北千島の遊動海民で「アイヌより余程古い」(鳥居龍蔵)と言われる留頓・ルートンを紹介すべきなのです。

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