4万年前の北京・田園洞人は、人骨分析により槍の狩猟族・ハンターではなく河川食の海民系で研究者を驚かせました。
図右上「倭は燕に属す」、古代史の燕と北部九州の離隔から不思議に思えることも、北上の人類史と「曙海」の沿岸・湖と河川網の「北東亜平野」史を知ればムリなく理解できます。議論の多い史上重要な稲作伝搬も、尤もらしかった「戦乱を逃れた大陸・半島人が伝えた」説は、最新の研究で弥生時代が300年以上早まって大陸・半島の戦乱難民の伝搬説は崩れ、曙海の畔の海民(①大挙でない五月雨で渡来した沿岸民、②目敏い海民である交易倭人)による普通の伝搬と考えられ、「戦乱を逃れた大陸・半島からの渡来民」は大きな誤解です。4万年前から古代当時の状況に思いを致せば、始まりの弥生人とは、倭・倭人であり国際性(今の海外行き来の東京中心部)ある「弥生倭人」と称すべきです。北陸の古人骨が大陸DNAに類縁という話も、よく調べれば北部九州からの移住民でした。土器に文様を付けてるヒマがあったら鉄鍬で田を耕せ、いい場所を収穫を奪おうという風潮の激動の時代へ。
図左、そもそも曙海を見たこともない内陸の魏人・陳寿が、海南島の暮らしを倭人のものとする(確かに沿岸民の類縁性あり)など、基本に沿岸民・倭人蔑視の魏志物語を綴りましたが歴史フィクションであり、神武天皇の生駒挫折・熊野迂回の物語の方が古地形分析から世界的にも遥かに史実性が高いです。4万年前などよくわからないとして教えない教室は、日本祖史を教えない周回遅れのみならず、誤りの教科書認識で人生を左右する入試の出題をしている異常です。「最初の日本人FJ」と曙海・北東亜平野について、生徒・学生に世界に。