出アフリカから南方を経て北部九州に至る上での最も重要な事は、未だモンゴロイドが登場していない(2.5-1万年前登場、Dr.Howells)時代に、出アフリカ人・南方インマレイドをして「あかんたい!」と言わしめた特に冬場の亜寒帯の環境激変です。
図右Aやや温暖期とは言っても氷河期、宮城松島のような状況が生じたでしょう。南方の裸体の暮らしは全くムリで、衣食住の万般に大きな工夫対応が求められます。都合よく洞穴がそんなにあるわけではアリマセン。更にB、家族が40kmの海峡を越えるとなれば、鉄器の無い時代に石器や時に火を使うなど工夫して舟(筏)を製作せねばなりません。洞穴で壁画を描くのと海峡越えの舟を作るのとどっちが凄いのか?これら、図右下1.亜寒帯への適応、2.舟での家族の海峡越え、おそらく知恵袋の爺、重要なお産の助けの婆もきっと一緒だったでしょう。そして重要な事は、これらが示す複雑さを有する祖語の存在、単純ではない言葉によるコミュニケーションが推定されることです。巷間の北海道の山川の名はアイヌ語というのは誤りであり、13世紀にアイヌ文化が始まるず~~~と前、3.5万年前後からの北海道史に既に名前があったと考えます、これが科学。子供に、世界に。