図左、始まり時代は現出していた北東亜平野の諸所に、湖が、無数の河川があり、南方から北上して来た「北インマレイド NIM 」(分かり易く現代一例女性)が、沿岸・河川近くに暮らしていました。図右の伊川津貝塚人のDNAが南方アンダマン諸島人や田園洞人と類縁であるという分析から下図説が導かれます。
大陸・北京郊外の4万年前の田園洞人が、狩猟肉食ではなく河川食であった事が人骨分析で明らかな訳は当時のそういう状況の故です。朝鮮半島でその時代の関係遺跡の発見が少ない理由も山地であったためで、ここにあります。従って、我が日本史の始まりは、大陸・半島から人々がやって来たと言うのは誤解であり、標題となります。海民の家族渡海(30-40km)が始まりですから、3.8万年前の25km程度の男たちによる伊豆の海の行き来は、謎でも何でもアリマセン。また、造舟・操舟力から知的レベルも高かったことが分かります。図左、東洋史は後に、この平野大陸地が徐々に消えていくとともに西から狩猟族が、モンゴロイド(2.5-1万年前、Dr. William Howells-Harvard大)の大きな影響が及び、基本構造である「南船北馬」 (その後は、北馬内の争い) へとなっていく訳です。この始まり時代を認識することが、その後の歴史理解の基本でしょう。生徒・学生に教え、教室で論議を。