今、足跡衝撃で学界はし~んとしています。先生は、それは未だはっきりしないから教えないとして始まり時代は原始扱いでさらっと通り過ぎていますが、確かとして教えてきた種々の説明は、米ニューメキシコの足跡(2.3万年前)に踏まれて崩壊しています。
肝心の暦年代(実際の年)は、資料の新旧、測定法による結果の較正など研究発表における年代の不整合という問題は 未だ ありますが、①時代は、花粉分析の気温模式によれば旧定説の「一山前」の比較的温暖期で、②ベリンジア大陸地ではなく、シベリアとアラスカが断続的に繋がった状況(フネで渡ったのかもしれないとすら)であったのです。「アラスカ以南が大氷床で塞がれ、数千年間、ベリンジアで滞留standstillしDNAに変化を生じた」という尤もらしい説明は怪しくなり、前方は開かれており普通に少数が拡がりました。③実はロッキー山脈には#1無氷回廊がありましたが、進入して来たのはマンモス・ハンターではなく(発見石器ではムリ―実験考古学、発見内陸人は河川・海岸食)、温暖期であり沿岸ルートもあり得ました。いずれにしろ寒冷等で身体が変化したモンゴロイドはこの時代にはいませんでした。他方、足跡から中・南米南部(1.45万年前モンテ・ヴェルデ遺跡)までの南下速度は、説明されていた沿岸超特急などではなく普通・鈍行でした。このベリンジア及び南米への南下の拡がり状況を踏まえれば、出発候補地(シベリア・ヤクーツク、オホーツク西湾、北海道)から、「普通」の速度で移住(ムリなく)したものと考えられますので、北海道の「道東ゲートウェイ」などの候補地における考えられる当時の状況が重要です。はっきりしないからなどと言って軽視・放置せず、生徒・学生に最前線の諸説(その時点で確からしい)を紹介し将来に期待すべきです。